2021年11月04日

金の取れるオナニー

オナニーは、普通創作物への悪口である。
自分だけ気持ちよくなって、
客がドン引きしている様子だろうか。

ところが、
金の取れるオナニーもあると思うんだよね。
どういうものだろうか。


僕は、
金の取れるオナニーとは、
「恥をかいているもの」だと思っている。
自分の弱いところとか、
人に見せたらやばいと思われるものとか、
それを見せたら公的な自分の像が崩れるものとか、
そういうものをきちんと見せているものが、
公開オナニーの資格のようなものだと思っている。

「自分はこれだけ恥をかいた。それをみてくれ」
というようなものだと思う。
その恥っぷりが金になるショウであると。

金にならないオナニーは、
そうした覚悟が足りない。
自分だけ気持ちよくなっていることが、
どう見られているか、まで分かってやっていない。
周りが見えていないオナニーだと思う。

金になるオナニーとは、
自分だけ気持ちよくなっているが、
それが恥があり、
その恥を観客が楽しんでいることを、
自覚しているタイプのものだと思う。

つまり、
自分→観客→自分……と、
ループしている、開いた客観性があるのが、
金になるオナニー、
自分だけでループしている閉じた主観性が、
金にならないオナニーだ。


自分をさらす覚悟だけでやっていても、
それだけでは芸にならない。
さらすことがエンターテイメントになっていないと、
金にならない。
ただ脱いだだけでストリップになるとおもったら大間違いだ。
きちんとショウアップされたストリップを見たほうがいいよ。
中心はオナニーのショウだとしても、
それはエンターテイメントとして、
客の目を意識したオナニーショウになっているものだ。

分かってやっているオナニーをしよう。
相当自分を丸裸としてさらすことになるだろう。
金になるオナニーが出来るストリッパーになれば、
あなたは一級のエンターテイナーになっているかもしれない。


創作というものは、
どんなものであれ、
自分自身が出るものである。
それのどこがオナニーになっているのか、
自分で鏡を見て把握するといいだろう。

ああ、オナニーしているな、
と自覚したら、
「それは金になるか?」と自問自答してみるとよい。

「それをどうしたら客に面白く見せられる?」
という問いをそこに立てることが出来るようになる。

あるいは逆に、
「俺はどういう他人のオナニーなら、金を払うか?」
という問いを立てられる。

その自己と客観のループを自分でつくるのだよ。
posted by おおおかとしひこ at 00:26| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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