オナニーは、普通創作物への悪口である。
自分だけ気持ちよくなって、
客がドン引きしている様子だろうか。
ところが、
金の取れるオナニーもあると思うんだよね。
どういうものだろうか。
僕は、
金の取れるオナニーとは、
「恥をかいているもの」だと思っている。
自分の弱いところとか、
人に見せたらやばいと思われるものとか、
それを見せたら公的な自分の像が崩れるものとか、
そういうものをきちんと見せているものが、
公開オナニーの資格のようなものだと思っている。
「自分はこれだけ恥をかいた。それをみてくれ」
というようなものだと思う。
その恥っぷりが金になるショウであると。
金にならないオナニーは、
そうした覚悟が足りない。
自分だけ気持ちよくなっていることが、
どう見られているか、まで分かってやっていない。
周りが見えていないオナニーだと思う。
金になるオナニーとは、
自分だけ気持ちよくなっているが、
それが恥があり、
その恥を観客が楽しんでいることを、
自覚しているタイプのものだと思う。
つまり、
自分→観客→自分……と、
ループしている、開いた客観性があるのが、
金になるオナニー、
自分だけでループしている閉じた主観性が、
金にならないオナニーだ。
自分をさらす覚悟だけでやっていても、
それだけでは芸にならない。
さらすことがエンターテイメントになっていないと、
金にならない。
ただ脱いだだけでストリップになるとおもったら大間違いだ。
きちんとショウアップされたストリップを見たほうがいいよ。
中心はオナニーのショウだとしても、
それはエンターテイメントとして、
客の目を意識したオナニーショウになっているものだ。
分かってやっているオナニーをしよう。
相当自分を丸裸としてさらすことになるだろう。
金になるオナニーが出来るストリッパーになれば、
あなたは一級のエンターテイナーになっているかもしれない。
創作というものは、
どんなものであれ、
自分自身が出るものである。
それのどこがオナニーになっているのか、
自分で鏡を見て把握するといいだろう。
ああ、オナニーしているな、
と自覚したら、
「それは金になるか?」と自問自答してみるとよい。
「それをどうしたら客に面白く見せられる?」
という問いをそこに立てることが出来るようになる。
あるいは逆に、
「俺はどういう他人のオナニーなら、金を払うか?」
という問いを立てられる。
その自己と客観のループを自分でつくるのだよ。
2021年11月04日
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