2021年11月02日

デジタルは人を幸せにしない: ゴミみたいな仕事が増えた

デジタルは映像に革命を起こしたのか?

CGは革命的であったが、
日本にそれほどの資金はなく、
日本にデジタル映像がもたらした功罪の功のほうは、
制作費が安くなったことだけだ。

そして当たり前だけど、安い予算の映画なんて、
ありがたくもなんともない。
高いものを消費しまくるから面白かったのであって、
なけなしのエンターテイメントが、
そもそも人の心を動かすはずがない。

で、功罪の罪のほうは、
安い仕事が量産されて、
ゴミみたいな仕事が沢山増えたことだ。


たとえば、
ちょっとした編集作業で20万とかが、
とても増えたように思う。
一か月はかからないが、2週間で終わるはずもない。
かけもちしてやっと40万、
かけもちできないなら月収20万になってしまう。

そのちょっとした編集とは、
今ある素材を使って何かするとか、
新撮しないという条件のことだ。
ちょっとしたプレゼン用の素材、
ちょっとした予告編的なもの、
ちょっとした社内ネゴシエーション用の映像、
などがいま莫大に増えているように思う。
ユーチューバー的な映像もそうだね。

レバテックやインディードで、
Premiere、AfterEffectsで検索すると、
山ほどそうしたバイトが見つかる。
相場は20から30といったところか。
新撮なしで、エフェクトだけつくるとか、
あるものを繋いで再構成するとか、
そういうものだ。
新しく内容を考えて、創作するには、
100とか150とか支払われるのに、
そうした案件はめったにない。

「ちょっとした編集で何とか安く済ませたい」
という、デジタルを安く買いたたく傾向があるからだ。

こうして、ちょっとした編集は、
ゴミのように増える。
ゴミといったのは、
「そもそも志が安いから、ゴミのような内容」
ということでもある。
今あるものを再編集して、
というのは志が低い。
新しいことをしようとしていないからだ。

これを、20や30あたりで買いたたき、
次のなにかを得ようとしている人たちが、
やたらと増えたように思う。


このせいで、
ディレクターの仕事が減っている。
新しく何かをつくろうとするよりも、
費用がかからないからだ。

選択肢はふたつ。
150の世界から20に降りて、
ゴミ掃除の仕事をやるか。
150の仕事が来るまで待つか。


デジタルは人を幸せにしたのだろうか?

20のゴミのような仕事ばかりやっていて、
精神はすり減り、才能は蒸発していくだろう。
150の力のある人間が、
20をやるべきではないというのは正論だが、
コロナで確実に150はなくなった。

20で食いつなぐ先に、
希望はあるのだろうか。
出口は見えていない。

こうしたゴミを量産したデジタルは、
ほんとうに人を幸せにしているのか?
つくる喜びなど見いだせない、20万のゴミたちを見てそう思う。
posted by おおおかとしひこ at 00:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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