2021年11月10日

あなたが取材した、何がそこに入っている?

取材は重要だ。
リアリティを探るための、
重要な手がかりになる。

だけど、取材に飲まれては本末転倒である。


ミイラ取りがミイラになるべきではない。

あなたが株の世界を取材したいと思って、
あなたが株の専門家になる意味はない。
あなたはストーリーを書くべきで、
株を買って儲ける必要はない。

同様に、
何かに詳しすぎるようになることは、
避けたほうがいい。

なぜなら、
その取材をしていない、一般の人が見るものを作ることが、
あなたの仕事だからだ。


取材のコツをひとつだけ書いておくと、
「知らなかったことに驚く」ことをするべきだと僕は思う。


驚きは好奇心になる。
それがそうだとすると、これはこうなのだろうか?
という次への興味がわく。
その気持ちを大事にするべきだと思う。

詳しくなってしまったら、
「あれはあれでこれはこれだから、こうなるのが自然」
などと、専門家しかわからないショートカットを描いてしまう。
それでは一般の人は分らない。
普通の人でも分るものを書くには、
「普通の人が聞いて驚くもの」を先頭に持ってくるべきだと思う。


僕は、
どれだけ取材の世界に深入りしたとしても、
フックになるのは、
初日や二日目に出会った、驚きであるべきだと考えている。
そのあとの数週間や数年は、
裏を取るための固め期間でしかなくて、
ほんとうに人が見たいのは、
その最初の驚きだと思う。

だから、驚かない取材は、
取材している意味がないとすら僕は思う。


取材に、時々飲まれている人がいる。

取材しすぎて、詳しくなって、
「その世界を描くこと」がメインになってしまって、
「ストーリーに感情移入させたり、
展開にわくわくすること」を忘れてしまうからである。

取材した世界に正確かどうかが判断基準になってしまって、
面白いか、が判断基準になっていない人が、
まれによくいる。


あなたが取材した、
何がそこに入っているだろうか?
取材しなければ知りえなかった、
その部分に赤線を引いてみよう。

もしそれが、
観客が驚いて、それはどういうことなのだろうか、
という興味が湧くものでなければ、
取材したものはほとんどそのストーリーに効いていないと僕は思う。
「分った人が書いた、分らない人には分らないもの」に、
なってしまっていると思うよ。

あなたは専門誌に連載するのか?
すべての人を相手にした映画館で勝負するのか?
後者を選ぶなら、専門家になりすぎないことだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:44| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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