取材は重要だ。
リアリティを探るための、
重要な手がかりになる。
だけど、取材に飲まれては本末転倒である。
ミイラ取りがミイラになるべきではない。
あなたが株の世界を取材したいと思って、
あなたが株の専門家になる意味はない。
あなたはストーリーを書くべきで、
株を買って儲ける必要はない。
同様に、
何かに詳しすぎるようになることは、
避けたほうがいい。
なぜなら、
その取材をしていない、一般の人が見るものを作ることが、
あなたの仕事だからだ。
取材のコツをひとつだけ書いておくと、
「知らなかったことに驚く」ことをするべきだと僕は思う。
驚きは好奇心になる。
それがそうだとすると、これはこうなのだろうか?
という次への興味がわく。
その気持ちを大事にするべきだと思う。
詳しくなってしまったら、
「あれはあれでこれはこれだから、こうなるのが自然」
などと、専門家しかわからないショートカットを描いてしまう。
それでは一般の人は分らない。
普通の人でも分るものを書くには、
「普通の人が聞いて驚くもの」を先頭に持ってくるべきだと思う。
僕は、
どれだけ取材の世界に深入りしたとしても、
フックになるのは、
初日や二日目に出会った、驚きであるべきだと考えている。
そのあとの数週間や数年は、
裏を取るための固め期間でしかなくて、
ほんとうに人が見たいのは、
その最初の驚きだと思う。
だから、驚かない取材は、
取材している意味がないとすら僕は思う。
取材に、時々飲まれている人がいる。
取材しすぎて、詳しくなって、
「その世界を描くこと」がメインになってしまって、
「ストーリーに感情移入させたり、
展開にわくわくすること」を忘れてしまうからである。
取材した世界に正確かどうかが判断基準になってしまって、
面白いか、が判断基準になっていない人が、
まれによくいる。
あなたが取材した、
何がそこに入っているだろうか?
取材しなければ知りえなかった、
その部分に赤線を引いてみよう。
もしそれが、
観客が驚いて、それはどういうことなのだろうか、
という興味が湧くものでなければ、
取材したものはほとんどそのストーリーに効いていないと僕は思う。
「分った人が書いた、分らない人には分らないもの」に、
なってしまっていると思うよ。
あなたは専門誌に連載するのか?
すべての人を相手にした映画館で勝負するのか?
後者を選ぶなら、専門家になりすぎないことだ。
2021年11月10日
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