2021年11月04日

【薙刀式】その必要のある人

たしかに、1500以上のペースで書き続ける、
「必要のある人」はそんなにいないかもしれない。
https://jigendaddy.hatenablog.com/entry/2021/11/03/163815

実のところ、僕は職業上の必要があって速くなりたいんじゃないんだよね。
「思いの量に対して、手がいつも追いついてない」から、
タイピングをなんとかしたいんだよね。


つまり、
僕の頭(や心)の中には、
もっと大量の考えや思いがあって、
それを外に出しきれなくて、
「もどかしい」と思うことが、
僕がこれまでやってきたことの動機だ。

先人の、qwertyタイパーや親指シフターのいう、
「速さ」は、僕の求めるものではなかった。
指の動線効率が悪すぎて、
僕の指では扱いきれなかった。

だから僕は「仕方なく」薙刀式をつくってきただけで、
もし僕の需要に対して既成の何かがあれば、
僕はそれをマスターしていたに違いないのだ。


一方、コピー打鍵の世界では、
2000や2500は当たり前だと思う。
それだけ人間のパフォーマンスは可能なのだから、
それで創作文を書きたいと僕は思うわけだ。
ただ、それを見る限り、
人間技とは思えないほどの曲芸の一種に見えて、
万人がそれを出せる方法はないのか?
と僕はいつも考えている。

2000や2500出せる人が、
それで自分の考えをばーっと書いていないのが、
解せないんだよね。
なんでF1持ってるのに走らないの?
って思ってしまう。
彼らの「走る」と、僕の「走る」は違うのだろう。



職業上、早撃ちが得する人はいると思う。

速記記録者、
代筆的売文業(商品解説記事を書くライターなど)、
ライター、記者、小説家、エッセイスト、脚本家、
論文を書く学者、実用書を書く人、
アフィリエイトブロガー、メルマガ主催者。
あるいは、メールやslackやteamsベースで、
指示を飛ばすマネージャーのような働き方をしている人。

ちなみにmiriさんはリアルタイム字幕作成の人だそうだ。

親指シフトは職業作家に愛されたが、
それはqwertyやJISカナよりまし、
という三つしか選択肢がなかった時代の話だろう。
そしてその選択は、
「速く仕事を終わらせて、○円/hのコスパをあげたろ」
という意図ではなく、
「自分の思いをよりエネルギー低く表したい」
という意図だと想像する。

倍仕事が速く終わったとしても、
倍の量書けるわけではないことは、
文章をたくさん書く日常を送ってる人なら分かっていることだ。
たぶん平均すれば、
人は一日7000字はしんどいと思う。
(クオリティを下げれば別だけど)
休みも含めて年間平均すれば、
一日2000〜3000字という話もあるくらいだ。

で、
文章を書く人は、
その一日の総量を、なるべく自分の意図の通りに書きたいと思う。
時間がかかっていては論旨がよれていくからだ。

つまり、倍書くためではなく、
一日の最高量が決まってるから、
クオリティを上げるために倍早く終わらせたい、
というのが本音だと思う。

「それで得した時間副業をする」
ために速く終わらせるわけではない。
なにせ文章を書く行為は、
8時間労働に匹敵するほど疲れるからだ。

(実際、小説家は昼寝をよくする。
そうじゃないと頭が耐えられないためだ。
ライターにデブが多いのは、
運動不足だからではなく、
考えるための糖分を日常的に補給していて、
純粋ブドウ糖だけの食べ物はラムネくらいしかなくて、
ついブドウ糖以外のカロリーを摂ってしまうからである)


賃金/時間のために、
僕は速くなりたいのではない。
思い/時間がかかって削られた量
を、最大化したい。



そうしたことを、
僕だけが考えているわけではないと思いたい。
なので、ほかにどういう人が、
1500以上を欲するのか、知りたいのはその通りだな。

ふつうにメールやブログレベルなら、
1000を越えればかなり楽に書けるから、
それ以上いらんやろ、と思う気持ちもよくわかる。
僕もいっとき1200あたりで安定してて、
とくに速くなりたいとは思わなかった。

でも、最近の自作3Dキーキャップがかなり良くなってきていて、
これが指の動線を最小化して、
かなり動きが短縮されてきたんだよね。
これによって1500くらいは楽に出せるようになって、
「その先を知りたい」
と思うようになった感じ。

そんな人が僕のほかにいるかは分からない。
無意識的にそんなことを思ってるが、
具体的に何をしていいか分からないとか、
調べるための言葉を知らないとか、
1500文字(変換後)/10分を測定したことがないとか、
そういう人のほうが多いと思っている。

そしてタイパーなのに、
文章を書くことを考えている人もほとんどいない。
なので、僕はヘンテコな所にいる人間だとも自覚はしている。

だから、
「言葉では認識してないが問題は自覚してる人」のために、
薙刀式の記事がどこかで届けばいいなあと考えているわけだ。


結論で言うと、薙刀式はいいぞ。
1000の世界がわかると、
文章を書くことが楽しくなると思う。
文章に対して、自分の支配権が強くなるからね。

ビジネス一級の700帯でも、
qwertyより考えの方に集中できる、
いい配列だと思うよ。
posted by おおおかとしひこ at 23:42| Comment(2) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>2000や2500出せる人が、それで自分の考えをばーっと書いていないのが、解せない
→これは競技者視点だと当たり前の話で、競技が面白いと感じている人ほど、興味があるのは「スコア更新」なので、別に文章を書くことは面白くもないし興味もないわけです。
そのようなまとまった分量の文章を書く機会・必要性・価値が、最初から無いから「自分の考えをばーっと書いていない」んじゃないでしょうか。

むしろ検定で2000字/10分出せる人だったらますます更新できるのが楽しいので、自分の文章を書く機会は減るとさえ思います。
これが変換なしのタイピングゲームだったら、そのゲームに特化した対策に没頭するので、さらに顕著になります。

これ、乱暴に言うと、「音ゲー好きで超上級者だけど、別に楽器を弾こうとは思わない」に近いものです。

>彼らの「走る」と、僕の「走る」は違うのだろう。
というのはそのとおりで、F1を使いたい、さらにはゴリゴリに最適化したいと思う"対象"が違うんですよね。

「QWERTYタイパーの創作文がぎこちなく見える」のは、タイパーが練度を上げているのは競技であって、創作文ではないからじゃないでしょうか。
Posted by パソ活 at 2021年11月05日 01:32
>パソ活さん

そうですね。純粋なタイパー視点だとそうだと思うんですよ。

でもタイパーじゃない人が、
「その配列は速いのか?便利なのか?」
を議論するときに、
qwertyタイパーの例を出してくるから、
話がややこしくなってる気がするんですよね。

創作文用の話をしているときに、
「qwertyタイパーは2500出すから最速はqwerty」
になってしまって、
同じ土俵に創作文側が登らされてしまっている。

たとえば「親指シフトは速くねえじゃねえか」
というときに、創作文でなく、
タイパー競技の土俵で比較されてしまうのは、
親指シフトはとても損していると思いますね。

qwertyタイパーが、
「我々がやっているのは特殊な競技であり、
実用の役には立たない」
と宣言してくれれば話は楽なんですが、
「いや、とはいえ実用にもある程度役に立つよ」
というグレーな部分があるのが、
ややこしい部分だなあと。

qwerty使用者で、タイパー的にもそこそこやれて、
創作文もガンガンこなす人が出てくれれば、
色々な比較が出来るのになあ、
と思って、こんなことを書いてたりします。
そういう人に、
「タイパーの経験なんて創作文には役に立たないですね」なのか、
「タイパーの技術と創作文には50%くらい相関がある」なのかを、
聞いてみたいところです。

もし重なり合うところがかなり少ない
(僕はそう予想しています)ならば、
「qwertyは競技向けではあるが、
実用的には不便な配列」という結論が見えて、
僕はその立場を取りたいなあとなんとなく考えています。

ただこの立場は極端だし、
穴がありそうなので、
反論を探したいんですよね。

物書きのためのペンと、
ペン回し競技は明らかに別、
みたいに分かれてれば良かったのに。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年11月05日 01:55
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