2021年11月15日

それがプランAとは限らない

人はなんだか最初の思いつきにこだわる癖がある。

最初の閃き、最初のプロット、
初期設定。
最初に思いついた、この窮地を脱出する方法。

ほんとうにそれがプランAだろうか?
もっと練ったものや、
まったく別のものが、最高でない保証はあるか?


数学では、
「これが最適であり、
これ以上の最適がない証明」をすることがある。
ゆえに最大である、
と数学的に証明してしまうわけだ。

だがそれは数学的に整理された空間でしか通用しない。

現実的な工学では、
最大解と、最適解を区別する。

理論上の最大解は保証がないが、
今与えられた条件下ではこれが最大である、
という条件付き最大解のことを、最適解とよぶ。

最適解という言葉はよく見えるが、
最大解が100万なのに、
最適解は1万しか得られないことだってある。

最適はもっとも適した、ではなく、
その条件下での最大の意味だ。

このように、
最大解よりずいぶん下なのに、
最適解で止まっているものを、
「局所最適解」という。

局所最適解は、
条件を変えればまた別の局所最適解に収束することがあり、
別のその解は、1万にくらべて50万かもしれない。
(100かも、99万かもしれない)

工学の世界では山登りにたとえられる。

最大解は頂上だけど、
最適解は、それぞれの峰であると。

その峰での頂上はそれ以上ない高さであるが、
最高峰ではない。
最高峰にたどり着くためには、
そこから一旦降りて、別のルートを辿らなくてはならない。

つまり、局所最適解は、
「ここまでやったんだから最高だろ」
という自己満足を生み、
条件を変えるために、
一旦悪化することをおそれる心理を生みやすい。

局所最適を避けるには、
峰の付近だけ見てないで、
もっと広い視野を持つことだ。


最大解を自動的に探すGAというアルゴリズムでは、
ある局所最適解が見つかったら、
全く別のところと混ぜて、
いわば探索場所をワープさせることがある。
これを、ある村で遺伝子が固定してしまうから、
旅人の遺伝子を村に入れることにたとえる。
たとえば北東の峰で自己満足していたはずなのに、
南西の場所でまた調べ直さないといけなくするわけだ。


こうして、全部を探検したわけではないが、
おおむね調べたぞ、
という風になるようなアルゴリズムが、
いくつか工学の世界では提案されている。
(全探索するには難しいほど計算量が膨大な問題では、
こうしたアルゴリズムを使う)



話が長くなったが、
最初のアイデアが、
最大解である保証はない。

また、練りに練りまくったアイデアが、
局所最適解である可能性がある。

プランAは、最高最大の良解である必要があるが、
それは今出ているものより良いかも知れない。

あるかどうかは分からないが、
工学的な経験則からいうと、
「全く別のものに条件を変える」
ことで、見つかる可能性がある。


最初のアイデアに固執することは、
探索場所を限定することに等しい。

色々考えることはとくに大事だが、
その「色々」がとても狭い範囲である可能性を考えよ。

まったく別次元から考えた時に、
これまで考えていなかった領域に、
プランAが見つかることがある。

それをやるには、
最初のアイデアに固執している脳を、
ほぐさないと出来ない。


まず寝ろ。そしたらある程度ほぐれる。
そして全く別のことをしろ。
そしたら全く別のことに脳が切り替わり、
寝たことと同様の効果がある。

そして全く違う文脈から、アイデアを眺め直した時、
全く違うアイデアが出ることがある。

もちろん、それが元のアイデアより劣る場合もある。
しかし、局所最適解以外の場所からのアイデアは、
元のアイデアを客観視させる。

ということは、こっち方面に何かないか、
あるいは、
この条件を外して考えられないか、
この条件は外すが、この条件を加えると?
などのように、
付与条件を変更するアイデアが生まれることもある。


プランAは、そうしてたどり着く。
posted by おおおかとしひこ at 03:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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