2021年11月17日

表の顔と本当の顔

隠し事があったりする場合だけではない。

最近増えてきたやつだと、
「外面はとても感じがよいのに、無能」
というパターンがある。


昭和の頃は、
「外見なんてどうでもいい。
内面がいいのがいいのだ」
なんて価値観があったが、
ルッキズムの浸透した現代では、
「まず外見の審査を通らないと、
相手にすらしてくれない」
が見え隠れするようになった。

挙げ句の果てが、
アウトソーシングが進んだことで、
「出来る営業の顔をしてて、
仕事は取ってくるのだが、
自分では何もできず、
仕事は丸投げする無能」
という構図が増えた気がする。

この営業なんのためにいるんだろう、
あなたの人件費は払うつもりはないので、
1万円あげるからあとは現場と話させて、
と思う客は沢山いると思う。

僕もその一人で、遊舎工房が優秀なのは、
有能な店員しかいないことだ。


だから最近、
ルックスに全振りしている、
表の顔がいい人は、
僕は最近信用していない。

何かやらせたらボロが出るに決まってる。
試しにきちんと分かってないと答えられない質問をしたら、
しどろもどろになるに決まってる。
そうやって脅すしかない。
そうしたやつらの手口は、
「持ち帰って検討します」だよな。
その場で決めるためにその場にいるんだろうに。


ルックスのいい人が仕事をもらってきて、
ルックスの悪い人が仕事ができるのに、
それを客前に出さずに搾取して、
中間で話を遅滞させる。

ルックスのいい無能な営業を見抜いて、
有能な人と仕事したい客は、
彼らをクビにするから、
彼らは見抜く目を持たない客を、
騙し切るように嘘をつく。

結果、
有能で仕事の出来る人は辛い目に遭い、
情弱な客が騙される。

なんという地獄だろうか。



最近、そうした人が身近にいたのでそう思った。
我々は雇われの身なので、
彼または彼女を首にできない。
そうして、無能な客は騙され続けるし、
我々は無茶な注文を受け続けて疲弊する。

あいつが不細工だったらよかったのにな。



表の顔とほんとうの顔は、
物語のネタのひとつである。
こうした現実を反映した物語がないのは、
作家の怠慢ではないかな。

素晴らしいルックスで有能な人は物語の対象となってきたが、
素晴らしいルックスで無能な人は、使いようがないのかな。
使い方を発明すれば、化ける要素になると思う。

そういえば先日ラーメン屋で、
業界人と思われる人たちが、
年間いくら売り上げたかの話を自慢し合っていた。
1億とか2億とかいってた。
あなたたちに1億やら2億の価値があればすごいというけど、
その価値はなさそうだった。

僕は金額じゃなくて、
「どう人を感動させたか」とかに価値があると思う。
それは1億より価値がある。
そうしたことを自慢すればいいのに、
そこまで頭の中が無能だとは思わなかったよ。


そんな、頭の中が空っぽなやつは、
いい悪役になると思うんだよな。
めちゃくちゃヘイト集められるもの。
posted by おおおかとしひこ at 00:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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