隠し事があったりする場合だけではない。
最近増えてきたやつだと、
「外面はとても感じがよいのに、無能」
というパターンがある。
昭和の頃は、
「外見なんてどうでもいい。
内面がいいのがいいのだ」
なんて価値観があったが、
ルッキズムの浸透した現代では、
「まず外見の審査を通らないと、
相手にすらしてくれない」
が見え隠れするようになった。
挙げ句の果てが、
アウトソーシングが進んだことで、
「出来る営業の顔をしてて、
仕事は取ってくるのだが、
自分では何もできず、
仕事は丸投げする無能」
という構図が増えた気がする。
この営業なんのためにいるんだろう、
あなたの人件費は払うつもりはないので、
1万円あげるからあとは現場と話させて、
と思う客は沢山いると思う。
僕もその一人で、遊舎工房が優秀なのは、
有能な店員しかいないことだ。
だから最近、
ルックスに全振りしている、
表の顔がいい人は、
僕は最近信用していない。
何かやらせたらボロが出るに決まってる。
試しにきちんと分かってないと答えられない質問をしたら、
しどろもどろになるに決まってる。
そうやって脅すしかない。
そうしたやつらの手口は、
「持ち帰って検討します」だよな。
その場で決めるためにその場にいるんだろうに。
ルックスのいい人が仕事をもらってきて、
ルックスの悪い人が仕事ができるのに、
それを客前に出さずに搾取して、
中間で話を遅滞させる。
ルックスのいい無能な営業を見抜いて、
有能な人と仕事したい客は、
彼らをクビにするから、
彼らは見抜く目を持たない客を、
騙し切るように嘘をつく。
結果、
有能で仕事の出来る人は辛い目に遭い、
情弱な客が騙される。
なんという地獄だろうか。
最近、そうした人が身近にいたのでそう思った。
我々は雇われの身なので、
彼または彼女を首にできない。
そうして、無能な客は騙され続けるし、
我々は無茶な注文を受け続けて疲弊する。
あいつが不細工だったらよかったのにな。
表の顔とほんとうの顔は、
物語のネタのひとつである。
こうした現実を反映した物語がないのは、
作家の怠慢ではないかな。
素晴らしいルックスで有能な人は物語の対象となってきたが、
素晴らしいルックスで無能な人は、使いようがないのかな。
使い方を発明すれば、化ける要素になると思う。
そういえば先日ラーメン屋で、
業界人と思われる人たちが、
年間いくら売り上げたかの話を自慢し合っていた。
1億とか2億とかいってた。
あなたたちに1億やら2億の価値があればすごいというけど、
その価値はなさそうだった。
僕は金額じゃなくて、
「どう人を感動させたか」とかに価値があると思う。
それは1億より価値がある。
そうしたことを自慢すればいいのに、
そこまで頭の中が無能だとは思わなかったよ。
そんな、頭の中が空っぽなやつは、
いい悪役になると思うんだよな。
めちゃくちゃヘイト集められるもの。
2021年11月17日
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