2021年11月12日

今年のダントツCM

昨日やっと映像をゲットした。
すべてのプロ(僕も含め)のつくったCMは、
今これに負けている自覚をもったほうがいい。

副業マスター山下
https://m.youtube.com/watch?v=cdf2JwbC-dw
(フル版が落ちてない…冒頭ちょっと切れてる…)


中途半端な作品性など、
すべてこの強さに駆逐される。

闇金ウシジマくんに出てきそうな、
弱いけど虚勢を張ってるチンピラ、
六本木というほどではないが、
少しだけ裕福な事務所の壁、
122万というリアルな夢、
唐突にはじまる耳に残るラップ、
微妙に韻を踏んでて、
プロレベルではないがハイアマレベルの、
絶妙な素人っぽい感じ、
チー牛が調子乗ってるテンション、
「これ稼ぎすぎー!」
というストレートなキャッチコピー。

すべての要素が噛み合い、
今の詰まらない、
クソの役にも立たないCMたちを、
力でなぎたおしている。

なぜなら、
一度見たら記憶に残るからである。


プロのつくる何千万の作品より、
大人たちがよってたかって無難なものにする、
企業の広告より、
電波代何億もかけて流しているCMより、
この弱そうなチンピラのテンションラップのほうが、
圧倒的に記憶に残る。

なんなら真似すらしたくなる。


CMは、見ているときの感想ではなく、
見終えて普通の生活に戻った時、
どうやって思い出すかにかかっている。


常時そこに設置されている看板ではなく、
15秒経てば消えるものだから、
CMとは、記憶の中にしか存在しない。

これは、
「味とは、舌を通り過ぎた記憶である」
ということに等しい。

もちろんその瞬間も大事だが、
時間とは、通り過ぎたあとにこそ、
思い出されるかどうかだ。


その記憶のあり方を狙いさだめ、
かつ15秒間をどうもてなすかが、
CMの勝負所だ。
(岡康道は、「読後感」と言っていた)

最近のCMは、
プロが寄ってたかっているくせに、
呉越同舟がはげしく、
東京五輪の開会式のようなぐだぐだになっている。

何か高みを目指そうとした痕跡しかなく、
上がりは学芸会以下だ。
学芸会のほうが予算がかかってないだけ、
迷惑をかけてないから優秀だ。
そして学芸会のほうが、
「くだらねえ」と客にストレートにいわれるだけ幸せだ。
「こんな芸では芸になっていない」と、
当事者が身に染みてわかるからである。


この「稼ぎすぎー」は、
とにかく強く、芸になっていて、
そして記憶に残る。

そして、
今の日本の縮図そのものだ。

大企業は遅く、倒れ、
個人のYouTuberたちが、
勝手に隙間で得をしている。
それに追いつけ追い越せ、
副業が今の日本の夢だぜ、
「正業」は頼りにならない、
という「夢のフィクション」を、
うまく描いている。

「マジサイコー!」なんて、
ここ何年も叫んでない日本人たちばかりだ。

これはおそらく122万も稼げるメソッドの紹介ではなく、
その紹介を有料で提供することで儲ける、
情報商材という詐欺のやり方だ。
しかし、
そこに今「日本の夢」が詰まっていることが、
今現代の最先端だと僕は思った。

つまり、このCMは、
今最も敏感に現代感覚を捉えている。

多くのTVCMが、鈍った現代感覚しかプレゼンできてない中で、
圧倒的に「いま」だ。


企業、マスコミ、たくさんの大人は、
これに負けている。

すべてのCMプランナー、クリエイティブディレクター、
CMディレクターは、敗北を認めるべきだ。

だって今年一番の出来(記憶に残る効果)だもの。

あなたたちのやってるしょうもない内輪コントや、
しょうもない替え歌やダンスや、
何千万も払ってタレントに言わせてなんとかしようとすることや、
既にあるものをパクってアート気取りしているものや、
色んな部署に丸められてよくわからなくなってしまったものは、
「稼ぎすぎー」に圧倒的に負けている。

これを見て業界が反省しないなら、
この業界は終わってると思う。


プロが敗北を認めないのは、
そしてこれを越えようとしないのは、
プロじゃねえよな。

そして同じようにラップで超えられないか、
と今思ったプロは廃業しなさい。
クリエイトの反対はイミテイトと記憶して、
この業界を去りなさい。
posted by おおおかとしひこ at 03:56| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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