あんまり真剣に考えると、
「なぜここから進化させなかったんだ?」と腹が立ってくるが、
とりあえずJIS規格の最初のものを読めるページがあったので。
https://diy.eomec.com/jisx6002-information-processing
ていうか、
JIS規格って1980年、41年前の規格なんだ。
それは流石に古すぎないか。
電信タイプライターと、現在のJISキーボードの、
ミッシングリンクであることがわかる。
エンターすら図1では二つのキーになっていたことがわかる。
そのかわり、文字配列はすでにフィックスしていて、
40年はJISの文字配列って同じなんだな。
(この時代に親指シフトは早すぎたのかもね)
アルファベット三文字は制御記号なのだろうが、
詳しくないのでわからない。
図1ではシフトキーすらないし、
親指はUSと同様、どでかいスペースキーしかなかったことがわかる。
これがのちの、
「三分割スペースで、親指で操作しよう」
という発想へと繋がるのだろう。
(その先のゴタゴタは、141Fさんがまとめてくれることを期待)
この時点では、
恐らくブラインドタッチ出来る人はあまりいなかっただろう。
電信、つまり電報レベルの文字量だったはずで、
拾い打ちをしていた程度だと思う。
(化け物みたいなオペレーターはいたかもだが)
なんならモールス信号よりちょっとまし、
くらいだったろうね。
アナログ回線の通信速度もあるし。
一日一万字書くようなタイピングなど、
想定されていなかったに違いない。
そもそもかな漢字変換もないし、
カナは半角か。
そういえば、Macの日本語入力の美しさは、
半角カナを捨てたところにあると思う。
そんなんいらんやろ、
全角漢字とひらがなで書くんだから、
全角カナでいいでしょ、と、
日本語は全角、英語は半角、
と割り切ったところが「言語の整理の決断」
だと僕は思う。
だからこそ、
スペースの左に英数ボタン(IMEオフ、半角)、
右にかなボタン(IMEオン、全角)、
と割り切れた整理になった。
僕は最初これで日本語入力を学んだので、
半角カナの存在は知ってたが、
使いたい時(ないけどさ)は、IMEの変換から選択する、
と知っていた。
IMEの発達とともに、こうした習慣が生まれたのだと思う。
それ以前、80年代や90年代初頭までは、
メモリの節約のために、
カナは半角みたいなルールあったのかな。
知らないので教えてください。
Windowsを使って訳がわからなかったのは、
英数(半角)、半角カナ、全角カナ、ひらがな、
と4種の文字種を制御しなければいけないことで、
半角カナと全角カナいらんやんけ、
とずっと思っている。
煎じ詰めれば電報を打つために、
半角カナが存在しているわけだ。
その需要、0と見積もっていいのでは?
もちろん、過去の文書を読み取るために、
コードは残すべきだが、
こちらから入力するのは、IME任せでよいのでは?
僕はPC8001ユーザーだったから、
半角カナでアドベンチャーゲームなどやっていたが、
別にひらがなでもいいわけだし。
(ぴゅう太とか、6001とかね)
そんなものをバッサリ切って捨てて、
「半角英語と全角日本語を明示的に切り替えれば?」
と提案したMacこそが、
知性だと思う。
「色んな人に怒られるから、玉虫色を残します」は、
知性ではないと思う。
ということで、
日本語入力の歴史は、
過去を清算、整理できない、
優柔不断な玉虫色の歴史である。
日本の文化の良い所か、悪い所かは、
未来が判断するだろう。
僕は悪いと思っていて、蛇蝎のように嫌っていて、
整理するべきと考えている。
野球でいうところの、
「誰がフライを取るべきか迷ってる三人の野手」のようだ。
そうこうしてるうちに、ボールはフィールドに落ちてしまった。
iPhoneがそれだと思う。
そしてiPhoneでは一日一万字は書けない。
小説家やライターほか、たくさん書きたい人は、
電報を打つためのキーボードを、
強制的に使わされている。
それで腱鞘炎を発したりしている。
たくさん書かない人は問題の存在すら気づいていない。
これが歪みでなくてなんだというのだ。
無知による愚かさ以外の何物でもない。
自作キーボード、自作配列の流れは、
この愚かさに反旗を翻す知性の最前線である。
いまだどれが最高かは決まっておらず、
「生理が人によって違う」ことが原因では、
と僕は最近考えている。
キーボードはひとつに収束するべきではなく、
文房具のようにバラエティ富むべきだと。
フランスは、伝統的なキー配置と、
新しく練り直された新配列の併存を選んだ。
そのような知性が文科省とデジタル庁にないことが悔やまれる。
河野太郎には期待できないから、山本太郎がやってくれ。
2021年11月11日
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