これ0.2秒で理解できる人いないだろ。
俺はどっちへ行きたくて、
どうすればいいのか、全然パッとわかんなくなるよ!
一方通行「→」と、
「左折できません」の大きさが合ってないからだ。
「→」が結論で、「左折できません」は理由だ。
0.2秒で判断するべきはハンドルを右に切ることで、
理由を理解することではない。
近所の道なのだが、
左折すると10mで大通りに出れて、
右折するとめちゃくちゃ遠回りになる。
目の前に見えてる大通りに出たくなるドライバーの心理に訴えるのは、
まあわからなくもない。
問題は、「左折」という概念と、
「→」が喧嘩していることにある。
左折を頭の中にイメージすることと、
→方向は逆だからだ。
せめて、←に×をつけとけばいいだけなのに。
←×で←の真ん中に×がついてる文字だとして、
←×
左折禁止
→右折のみ
ぐらいにしておけば、
状況理解と結論までがスムーズに行く。
デザインは表現の一種だ。
この表現は誤りである。
正しいことを並べていて何が悪い、
間違ってはないだろう、
と開き直るのは、
表現として誤りである。
分かりにくい、誤解を招く、
簡単なことなのに理解の手間を取らせること、
難しいことなのに簡単に見せて誤解させること、
などは、
表現として誤りだ。
このデザイン担当者は、
クビにしろ。
納税者として抗議する。大田区よ。
では、
この誤りから得られる、
表現上の教訓はなにか?
シンキングタイム。
「結論はひとつ」であること。
多くの表現の教科書で、
ほとんど第一章で学ぶことだけど、
その実践はとても難しい。
この表現の誤りは、
結論が小さく、理由が大きいため、
どちらが結論なのか咄嗟にわからず、
混乱することである。
結論を一番大きく、
わかりやすくすることだ。
添削したケースでは、
「←×」を一文字で示すことで結論をまず出しておき、
一応言葉で意味をフォローし、
その後取るべき正しい行動、
→を示している。
では、
左折禁止が結論か、
右折が結論か、どちらだろう?
結論が右折の場合、
一定数間違えて左折するやつ、
間違ってるとわかってあえて近道するやつを、
減らすことは出来ないだろう。
結論が左折禁止の場合、
右折のみの一方通行と、数学的意味は同じではあるものの、
禁止の意味合いが強くなり、
一定数いる左折を、ある程度抑止できるだろう。
「左折して事故が起こることを減らす」
が、この看板設置の目的なので、
左折禁止を結論にしたほうが、
効果は高いと考えられる。
数学的、論理的に正しかったとしても、
人は合理的判断ができるとは限らないことは、
モンティ・ホール問題ほか、多くの数学問題で示されているよ。
したがって、
瞬きの間にコミュニケーションできる、
←×を最初に大きく持ってくることが、
表現としての正解だ。
こうした、
表現と目的がよれているものは、
表現として間違いである。
大田区は住民税を減らせ。
「結論はひとつ」に至るためには、
「なにをひとつの結論にするか」
を議論しないではできない。
近年の広告が弱体化しているのは、
あれもこれも捨てられない、
玉虫色のものになっているからだ。
広告だろうが、デザインだろうが、
映画だろうがシナリオだろうが、
女を口説くだろうが、
表現の原則は同じである。
相手がどう思い、反応して、考え、判断し、
記憶するかを考えればよい。
あなたがどうしたいかは関係ない。
2021年11月12日
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