特撮マニアが一定数いる。
その人は建築好きと似ていると僕は思う。
共通点は、
「それを実際に建造したのかよ」という興味だと思う。
建築の面白さは、
「実際にそれがあること」
「実際にそれを作った人がいること」
「実際にそれを人が使って、機能していること」
「実際にある巨大なものの面白さ」
だと思う。
沢田マンション、中銀ビルなんかは僕の大好物で、
九龍城なんかも行ってみたかった。
京都駅ビルや有楽町国際フォーラムみたいな、
ガラスと鉄骨が好きな人もいるようだが、
僕は好みじゃない。
まあそこは性癖だからね。
特撮の面白さは、
ミニチュアだろうが爆発だろうが、
巨大セットだろうが造形物だろうが、
中に人が入ってようが、ワイヤーで動かすのだろうが、
「実際にそれ作ったのかよ」
「実際にそれ動かしたのかよ」
の面白さだと思う。
芝居やダンスや歌やスタントやアクションが、
人の肉体による、
「実際にそれをやったのかよ」
の、コトの面白さだとすると、
ブツの面白さが、
特撮の面白さだろう。
間にあるのが、
コスチュームの面白さかな。
ブツの面白さなんだけど、
人に近い部分だから、
特撮の面白さとはちょっと遠い。
でも、プロテクタースーツとか、
マスクマンのデザインとかは、
特撮の面白さにちょっと近い。
ブツに近くなるからだろう。
コスチュームと特撮の違いは、
僕は糸や生地メイン(柔らかく変形する)がコスチューム、
硬いものメインが特撮、と分けて考えている。
この面白さは、
映画美術というジャンルだ。
細かく分業化されていて、
特撮が絡まなくても、
セットデザイン(セットを組むときのデザイン。
壁を立て、塗り、大工作業でつくる)、
装飾(レンタル出来る小物でセットを埋める)、
小道具(プロップとも。手で持つものを担当)、
なんかはとても面白い。
絵、立体、デザインなどの、美大でやることが全部が入ってるから、
美大出身の人は多いと思う。
セットデザイナーには建築出身もいる。
セットの中のカーテンは布だから装飾担当なんだけど、
「私は布関係は全部担当したい」と、
カーテンを持ってくるスタイリストもいたりする。
でもラグマットやクッションは装飾だね。
応援旗は、持つ芝居があれば小道具、
部屋に置いてあるのは装飾担当。
特撮はこれとは別に、
特効なんて呼ばれることもあり、
それでも美術の人の範疇。
ふつうの美術やりながら、
別に特撮を立てることもある。
着ぐるみ、アクション、造形、ミニチュアなど、
様々なスタッフが働く。
で、
もちろん、「実際につくったのかよ!」
と驚かれ、好奇心を引くものをつくるわけだから、
金がかかる。
だから、
セットやモンスターやミニチュアを、
CGで作るわけだ。
最終的にCGの方が金がかかる説もあるが、
「美術より安い」
とプロデューサーは思っているから、
CGに舵を切るわけだ。
で、
CGにして得をした、
と思ってるならば、
そのプロデューサーは、
映画の愉しみを知らない、無知な人間だと思う。
建築の楽しみが人類にあることを、
無視していると思う。
もっとも、
潤沢な予算があり、
「いくらでも使っていいぞ、ようしデカイのつくるか!」
なんてことは滅多になく、
「これだけしかないので、
美術特撮できないんだよ。
ここはCGで誤魔化そう」
でしかなくて、
だから潤沢なCGというのが最初からなかったりして、
それはそれでCGチームはかわいそうだ。
最初からハゲ隠しをしにきたカツラチームのようだ。
CGチームだって、
ピクサーみたいな仕事をしたいだろうに。
そう、何に潤沢さを与えるか、
がプロデューサーの裁量なんだよね。
この映画は建築のような面白さがあるのか、
この映画はピクサーのような面白さがあるのか、
予算の配分で、選ぶことができる。
これこそが制作の醍醐味だと思うわけ。
ところが、
潤沢な予算は削られる一方で、
最低限どこにかける?
ってなって、「写ってる人」になってしまうわけ。
そこ以外は削ろうって。
だから、コスパの良い、客を持ってる芸能人が、
呼ばれ続けるんだよね。
貧すれば鈍するの、典型のようだね。
デジタルになって、
表現の幅は増えたが、
その幅をベストチョイスした例はあまりなくて、
ハゲを隠すヅラがわりにデジタルは使われている。
ヅラはやっぱりばれる。
少なくとも違和感だけ残す。
「実際にそれをやったんだ!」
という、
建築の面白さはない。
僕は広告で肌がツルツルになってるのも、
ヅラと同じに見えて、とても恥ずかしいと思うんだ。
第一次大戦から第二次大戦あたりの、
ドイツやロシアの珍兵器って、
とても面白いよね。
これも、
「実際にそれ作ったのかよ!」
「実際にそれ動かしたのかよ!」
という面白さだろう。
特撮はロマンという人がいる。
建築のロマン、兵器のロマンと、
僕は共通したものを感じる。
「実際にそれつくったのかよ!」
というロマンだ。
撮影の前には、
スタジオで「建て込み」というのがある。
大工さんたちがトンテンカンテンやってセットをつくり、
装飾さんたちが壁塗りしたり家具やブツを搬入して並べたりする期間だ。
そこに照明マンが来てどうやってライトを当てたら魅力的になるかとか、
カメラマンが来てここをこう撮りたいとか、
監督が来てこんなイメージで、
みたいになっていく瞬間がとても僕は好きだ。
実際に「それつくったのかよ!」が、
つくられていく瞬間だからね。
そして撮影が終わると、
「ばらし」といって、
セットが解体されて、廃棄されたり再利用できるものに分別されたり、
搬入されてたレンタル物がまた段ボールに詰められて、
それぞれの借り先へ分配されて、
最後にはスタジオが空っぽになる段階もある。
僕は、建て込みも好きなんだけど、
ばらしも同じくらい好きなんだよね。
祭りの片付けと同じだからね。
「つくったぞ」という満足感とともに、
みんなで片付けるのは大好きなんだよね。
だから撮影って、芝居も好きなんだけど、
文化祭スタッフと同じことをやってるんだよね。
その、実際につくってる感じが、
映画の面白いところなんだよな。
それじゃできないことだけを、
CGでやれば良いと思う。
もし映画がフルCGだったら、
僕はこの職業についていない。
「実際にそれつくったのかよ!最高かよ!」
こそが、フィルムの魅力だと僕は思う。
デジタルは、その幸せを減らしていく。
オンライン会議が、実際に会う会議よりつまらないくらいに。
コンドームのあるセックスと同じ、
「擬似」なんだよね。
明日、プロレスラーの撮影があって、
一回しか出来ない(ブツが壊れちゃうから)けど、
ジャーマンスープレックスで、美術のブツ(人間大)を投げるカットがある。
成功したら採用、うまく撮れなかったら別の本命を使う予定。
こういうのが楽しいんだよな。
2021年11月14日
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