2021年11月22日

デジタルは人を幸せにしない: デジタル疲れ

一日中編集してると、
「編集じゃない疲れ」がたまってくる。
これはデジタル疲れだと思う。
この疲れは、疲れに換算されていない。


なぜ分かるかというと、
フィルム時代の編集を僕は知ってるからで、
デジタル編集の疲れとフィルム編集の疲れの質が異なることを、
実感として知ってるからだ。

デジタル疲れとはなにか。
「デジタルの都合に、アナログである我々が合わせる疲れ」だ。

具体的には、

イン点アウト点をマウスやショートカットできっちり合わせないといけない疲れなどの、
「デジタル数値、境界線などの、きっちりしたものに体を合わせないといけない疲れ」、
クリップにエフェクトを適用して、そのサブクリップをこっちに並べて、
でもしたいことはこれらに全部同じエフェクトをかけたいことだが、
それには最初のデータ構造の組み方を全部変えなきゃいけなくて、
それは最初からやり直しになるから、
そのエフェクトは一個一個手でかける手間を選ぼう、などの、
「データ構造としたいことが異なるときの、間に挟まれる疲れ」、
この.movはもともとアフターからアルファ付きで出していたが、
その大元はイラレにレイヤー化したものであり、
全体のレイアウトが変わったから、
イラレに戻って全部参照関係のリンクを貼り直しだな、
という、
「複数のアプリケーションの同期を取る疲れ」、
あることを反映した時の、
以下同文をやるために、結局手作業になり、
漏れをチェックする疲れなどの、
「以下同文を反映させる疲れ」

などがある。

アナログの肉体の我々の感覚の手間と、
デジタルの感覚の手間との、
ギャップの疲れだろう。


アナログで簡単に出来ることが、
デジタルで簡単には出来なくて、
デジタルで簡単に出来ることは、
アナログであんまり面白くない、
ということと関係ありそうだ。

「えーこんなのデジタルで簡単に出来そうなのに、
出来ないの?」のときに、
デジタル作業する疲れが、体に残る気がする。

それは肉体労働一時間とかじゃなくて、
もっと細かい細かい、
レイヤーボタンを押して、チェックボタンを外して、
ソースのイン点をずらして、レコードのアウト点をクリアして…
みたいな、
細かい段階で間違えられないことの、
神経の疲労の積み重ねのような気がする。


アナログの作業では、
「イライラしたら線が荒れる」などの兆候があるが、
デジタルではそれも分からない。
それも、疲労が気づかれにくい原因であろう。


たとえば、
昔弊社はタイムカードという物理方式だったが、
デジタルで出社退社を書くだけで、
なんか疲れるんだよ。

スマホを立ち上げ、
フェイス認証して、
サファリを立ち上げ、
ブクマを立ち上げ、
イントラホームページアクセスして、
社員番号とパスワードを打ち、
日付を探し、
出社時間ボックスをクリックして、
時間の数値を入れ、
ABCをタップしてからコロンを入れ、
数値入力に戻し、
分の数値を入れ、
退社時間のボックスをクリックして、
時刻の数値を入れ、
ABCをタップしてからコロンを入れ、
数値入力に戻し、
分の数値を入れ、
エンターを入れて確定して、
ブラウザのそのページを落として、
スマホをポケットにしまう。

これに20ステップかかっている。

入り口のカードから無意識に打刻して、
出ていく時にカードに無意識に打刻する、
2ステップのほうが楽だ。

デジタルのステップは、
おそらく、
アナログのこうした無意識行動まで、
落ちないのだと思う。

どうしてもそこで左脳を使うため、
そこで疲れるんだと思う。

逆にいうと、
アナログは、左脳を別のことに使いながら無意識で処理できるが、
デジタルは、左脳を一回止めて、インサートして、戻さないといけない。
20+2ステップを挟む疲れが、
無意識に比べてあると思う。


僕はずっとこれはめんどくさいと思っている。
カード打刻時代から、不幸になったと考えている。

こうしたことの、
もっと巨大なことが、
編集作業で起こっていて、
つまりはクリエイティビティティという、
もっともアナログなものが、
デジタル疲れで萎縮していると思う。


Googleや任天堂が、
会社内に非デジタルで遊ぶスペースをつくるのは、
こうしたデジタル疲れからの逃避で、
回復するためという無意識がなせるのだろう。

そうした社員の仕事に興味のない総務は、
バカなコンサルに言われるままに、
デジタル化を推進して、
社員を疲弊させていると思うよ。

テレワークで満員電車を避けられたとしても、
結局デジタルワークは人を疲れさせる。

それは、
アナログなら無意識に出来るものを、
デジタルはステップが細かすぎるからだと思う。

寿司をワンステップで握る意識なのに、
ネタを持ち、シャリを持ち、
サビを入れ、握り、数手で整え、
置く、
みたいに数ステップに分けなきゃいけないのなら、
そりゃ疲れるよな。
一日100貫握るのが、600ステップに増えるわけだからね。



僕が執筆をデジタルでやらないのも、
このことと関係あって、
薙刀式カテゴリで考えているのも、
こうした細かいステップをどう減らすか、
ということだと思う。


デジタルはほんとに人を幸せにしてるかなあ。
労働がきつくなっただけだよな。
posted by おおおかとしひこ at 01:13| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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