それ単独ではその意味はなかったはずなのに、
特定の並びになることで、
別の意味が発生してしまう現象。
「下ネタを言ったあとにシャウエッセンの話をすると、
すべて下ネタになる」
という例で確認できる。
すべての編集、物語はこれを利用して話をすすめる。
最近の例で見てみよう。
北海道シチューCM、冬版15秒形は、
寒い中二人で作業して、あったかいシチューを食べる話だ。
ストーリー(特別な事件とその解決)というほどではなくて、
シチュエーションのつながり程度のタイムラインだろう。
ところが、
90秒版を見たあと、
15秒版を見ると解釈が変わる。
90秒版は、
妻が忘れた手袋というシチュエーションで、
夫が自分の手袋を脱いでつけてくれるという、
少女漫画的マフラーシチュエーションの、
北海道版を新しく作ろうと試みたストーリーだ。
(北海道の人はマフラーをしない。
邪魔だからね。首元のしっかりした上着を着るだけだ。
東京だと電車の中や店内は暑すぎるから、
マフラーで首元調整しやすいんだが)
さて、
この90秒版を見たあと15秒版を見ると、
「あの手袋は、松坂桃李がつけてくれたやつだな、
ふふふ」
と、二人の秘密を知ってる人の気分になれる。
これがモンタージュ効果である。
同じもののはずなのに、
意味を知った「あと」では、
別の意味に見えるわけだ。
なぜ編集で、
シーンの入れ替え、
カットの入れ替え、
セリフの入れ替えが存在するのか?
モンタージュ効果をつくる、
除去する、変更する、
意図しないモンタージュ効果を整理するためである。
編集と同じことは、
本質的にシナリオで出来る。
シナリオで、シーンの順番を入れ替えたりすることは、
稀によくある。
それは、モンタージュ効果を調整しているのだ。
「単にその方が気持ち良いから」
という理由で順番を入れ替えるのは、
間違いではないが間違い。
モンタージュ効果を分かった上で、
それをコントロールしよう。
今回の90秒版は、15秒版にモンタージュ効果を与えるために、
作ってたりするんだよね。
ファンだけのお楽しみということで。
なぜ第一印象を大事にして、
それをコントロールするのか?
その後すべてにわたって、
モンタージュ効果をつくるためだ。
2021年11月19日
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