単打のアルペジオは最速で最楽なものである。
各配列のアルペジオを調べることで、
指と言葉の関係を理解することができる。
【薙刀式】
右手
ある ない する いく くる なる いう(重要動詞)
たら なら なん なれ れる られる(繋ぎの語)
たん たい(漢語の一部)
左手
こと とき ところ(コトに関わるもの)
して てき(繋ぎの語)
右手と左手で明確に役割が分かれている。
重要な概念や動詞は右手に、
場所や時間などの枠組みは左手に振っている。
語尾につきやすい繋ぎの語は、左右に分配(右多め)。
右手はさらに漢語の一部も担っている。
【新下駄】
右手
こう いう しい ない
たい てい いく でし
左手
には とか かん はん
とる のる きる する ます
新下駄にもともと、左右の別はない。
使用率は均等にかかり、アルペジオに種類の別はないようだ。
統計的に上から順番に単打に当てていることで、
よく出る連接を、同指連続などの被りを避けることで、
左右に割り振っている。
薙刀式を使うと、意味と左右の関連を強く意識するため、
文章を書きやすいと感じる。その代わり偏る。
新下駄は、意味と運指の関係は独立の感覚が強く、
「指の稼働を平均的に使っていく」
感覚になると思う。
また、薙刀式があちこちに指の方向が飛んでアルペジオを形成するのに対して、
新下駄のアルペジオは必ず外→内に整理されていて、
そこが美しい運指だ。
新下駄の「指が楽」は、こうした、
平均的使用やアルペジオの運指整理から来ていると考えられる。
【飛鳥】
右手
いん かん たん はい はん とは
左手
して うし にて けて
飛鳥の単打アルペジオには、
意味との連動性はあまり感じない。
飛鳥の並び方は、雑多なものをぶち込んでなんとか整理した、
という感覚を受ける。
連続シフトを利用して、回路を無理やり繋げた感じ。
なんでもかんでも繋がりやすいが、
九龍城みたいな迷宮感が強い。
その中でも中段キーのみを用いたアルペジオは、
飛鳥のメインストリートと考えられる。
逆にそれ以外のアルペジオは、偶然できただけかも。
歴史的に見ると、
飛鳥より新下駄の方があとだから、
飛鳥の運指のぐちゃぐちゃ感に対して、
新下駄は指の動線を整理することを目標としたのかも知れない。
もっと幾何学的に、対称に、エレガントに、
確率統計的に並べることが出来るのでは?
に挑戦した結果に見える。
これに対して薙刀式は、
飛鳥サイドの考え方に近い。
その代わり、左右で言葉の意味を振り分けよう、
という意識が最初からあったように思う。
連接しやすいカナをわざと左右に振って、
左右交互率をあげた新JISとは真逆で、
なるべく左手に固めたいもの、
なるべく右手に固めたいもの、
という設計方針が薙刀式だ。
【シン蜂蜜小梅】
右手
いん しん しい いう
左手
せて なる てる
親指シフト機構を使う前提は、
等速打鍵なのだろうか。
シフトカナだろうが単打カナだろうが、
すべて等速リズムで打つと聞いたことがある。
それが打鍵の前提ならば、
そこだけ速くなるアルペジオをなるべく使わない、
という方針もあり得ると思った。
ただ、親指シフト(ニコラ)の打鍵動画では、
等間隔で打っているところと、
アルペジオくらい速くなる部分が、
まちまちに現れていたように思う。
唯一の蜂蜜小梅動画でも似た傾向があった。
等速度で打つ設計だけど、
よく使う言葉が速くなる分にはいいのかもだ。
こうして眺めてみると、
薙刀式が結構特殊な配列だなあと逆にわかる。
意味で左右をわけてアルペジオを仕込み、
その意味のたびに加速するのは、
薙刀式だけの特殊な感覚だろう。
2021年11月21日
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