2021年11月23日

CGに飽きる日が来るとはな…

ネトフリ「地獄が呼んでいる」予告。
https://m.youtube.com/watch?v=j9m1XotCAHo&feature=youtu.be

アビス、ジュラシックパークから発展してきたCGも、
もう限界だな。
ゲームかハリウッドで見たエフェクトだらけ。
革新的な進歩はもうないんだろうね。

フルCGはまだありえるだろうが、
(それにしてもレディプレイヤー1や、
スパイダーバースで終わったと思う)
ライブアクションとの合成は限界だろう。

なんでか。
意味的に考えよう。


CGは、
「実写の世界とCGの区別がつかなくて、
シームレスに夢の世界が存在する」
ことが最終目的に見えた。

だけど現実は、
「実写の世界と、CGの世界の二つがあり、
これらは別のレイヤーにいて、
決して交わらないし、触れられないし、
融合しないし、混ざらない」
ことがわかってしまった。

技術的なことはわからなくても、
「現実でよく見るやつは実写で、
見ないやつはCG」
という区別が、
意味的に区別できるようになってしまった。

すなわち、「ありえないものはCG」
というルールが、
見る側にできてしまったのだ。


これは、
「ありえないかも知れないが、
この世界ではありえる」
という、フィクションのルールを壊してしまった。

フィクションは、見立てによって成立する。

「これは現実ではありえないのだが、
この世界ではありえるのだ。
だって触ってるし、抱きしめてるし、
会話してるし、その世界はここにあるように見える」
ことによって、
我々はフィクションを、現実のように誤解する
(喜んで誤解する)わけだ。

ところがCGは、
この混ざりに、線引きをしてしまった。


ハイハイCGCG、という冷めた見方で、
我々は、地獄の生き物がほんとうにいて、
それが襲ってくる恐怖を嘘だと思ってしまう。

これがほんとうに地獄の生き物を撮影したもので、
それに襲われた人たちを撮影したものだ、
と、どうしても思えない。

それはおそらく、
「地獄とはどのようなもので、
地獄の生き物はどのようなものか?」
という、考察が足りていないからだと思う。

彼らの運動は地球の運動法則と違うが、
それはどのような法則で動いていて、
そして地球では重力や電磁気力に、
どのように影響を受けるかとか、
彼らは何を食べて生きていて、
どう生まれてどう死んで、
どう増えたり減ったりするのかとか、
彼らはテレビを見るのかとか、文化を持ってるのかとか、
そんな、
いろんないろんなことが、
考えられていないように見える。

CGは裏を返すとレンダリングしていない、
そんな感じ。

いろんなことを考えて、練り、
それがそこにあるように見せるのは、
SFと似ている。

その宇宙人や惑星が実在するとしたら、
地球で働く法則と同じ法則が働いているはずで、
あるいは未知の法則があれば、
それは我々の科学でも応用できるはずで、
といった、
知的リアリティの構築がSFであるが、
それは地獄や、
地獄の生き物についても、
同等のものが必要だと思う。

なぜなら、
煙状の顔の生き物は、
我々には単なるエフェクトにしか見えないからだ。

生き物はエフェクトではない。
それが生まれ、自我を持ち、育ち、
物を喰らい、感情を育て、
友人や親があり、恋があり、セックスして増えるはずである。

そうではない生き物にウイルスがあるが、
あるいはそれらを超越した何かであるならば、
彼らなりの生命のあり方があり、
それらは、知られている物理法則で動くか、
知られていない未知の法則で動くが、
それに支配されていることは知覚できるはずだ。

それが、煙状のエフェクトには感じられないよね。
同様に、黒いでかいやつもだ。

「未知だから怖い」のはホラーだが、
これらは「ハイハイCG」という既知のものなので、
ホラーにすらなっていない。


物語とは、
「もうひとつの現実があると信じること」
から成り立つが、
ハイハイCGは、それを拒否する。


アナログ特撮が優秀だったのは、
仮に煙状の顔をつくるならば、
水煙やスモークを焚いてつくることになるが、
それは「物理法則の影響を受ける」ことが、
動きからわかるからだ。
その時点で、そいつには「実在性」があるのだ。

クマみたいなやつには人間が入ることになるが、
人間の動きが重力に逆らえず、関節を持つことで、
動きがリアリティがあって、
そこに重みも感じるから、
物理法則の影響下のものであることがわかる。

(人間が入ってるのがバレるのをふせぐため、
たとえば調教した猿を入れてもいいよね。
あるいは竹馬に乗った人間とか、
腕を棒で拡張した人間とか、
少しだけ異形なのだが物理法則に従う着ぐるみはつくれる)


こうした、「そこにあるかんじ」が、
アナログ特撮では意図せず漏れるので、
CGにはない「実在感」があるんだよね。

「第九地区」のエイリアンが優秀なのは、
逆関節に見える脚が、実は竹馬に乗って撮ってるのを、
あとでCGでレタッチしているからで、
元の動きは人間のそれだからなんだよね。

ところが単体で作ったCGはあくまで、
「現実とは異なるレイヤーが、重なって見えてるだけ」
になってしまう。


CGが、既存のエフェクト再利用にすぎず、
新しくつくってないことも影響しているだろう。

コンピュータはコピペを容易にしたが、
創作とはコピペをせずにつくることだ。

だからCGは、つまらないんだよね。
「あきた」という感覚は、
「コピペされてる」という感覚とおなじだ。



フルCGがまだ希望があるのは、
「現実とCGの2レイヤーがある」わけではないからだ。
だけどそれってピクサー以外に、
なにかできるんだっけ。


それでもスタジオはCGを使うだろう。
特撮の1/10くらいの金でできるからね。
でもそれで映画の歴史は進まず、
むしろ後退してることを知った方がよい。

CGから、新しい表現って最近できたっけ?
ゲームのビジュアルが停滞していることと、
同じだと思う。
ファイナルファンタジーは、おにぎりがリアルになっただけらしいね。


目先の利益を見て、
歴史を更新させないのは、
株取引に似ていると思った。
(本来の株取引は世界を発展させるためにあったはずだが、
現在の実状は金を転がして増やすゲームでしかない)

投資を受けないで回収できる、
映画のビジネスモデルはないのだろうか。

そうでない限り、この低いループが回るだけになる。

そうでなかったものを目指したネトフリが、
もうこの波に呑み込まれつつある。
posted by おおおかとしひこ at 11:27| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
『いけちゃんとぼく』のいけちゃんもCGやんけ。お前が言うな。
Posted by いけちゃん at 2021年12月01日 03:05
>いけちゃんさん

あの時は飽きてなかったけど、
今飽きた、という話ですが。
いわばCGはもう十年前の技術でないかなあと思います。
人の芝居は飽きないのはなんでだろう、
ということを書いたつもりです。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年12月01日 08:51
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