2021年11月23日

クラスタ分析がおもしろい

「温泉むすめ」の炎上さわぎは、
たいして炎上してなくて、
擁護派の方が多数である分析。
https://news.yahoo.co.jp/byline/toriumifujio/20211122-00269110


昨今の表現は、炎上をおそれてピリピリしている。

僕は昭和のテレビを見て育ったので、
毎日テレビ欄が「過激!!」で埋まっていた記憶があるし、
大変なことをしでかしても、
謝ればなんとかなった時代を見ている。

でも、
「謝っても炎上する」
「わかってないと言われる」
なども恐れる人たちがいるから、
表現は、
「疑わしきはせず」
という、無難中の無難を選択する命令が下される。

こうして、表現は強さと到達距離
(空間的距離だけでなく、時間的距離、
つまり時代を超えて記憶され、愛されるかも含む)
を失ってゆく。
ざっくりいうと、ペラペラにされている。


で、クラスタ分析だ。

こうした分析の専門家がいれば、
「何が起こったか」を分析することができて、
エコーチェンバーの外に出られることがよくわかって面白い。

ただ炎上を恐れるのではなく、
「炎上に見えてたいした炎上ではない」
と正しく現状認識をする機構が、
いまのシステムには欲しい気がするね。

もちろん、
彼らは表現コンサルではないから、
「こうしてはどうか」は予言できない。

我々表現者は、
大衆という謎の集団を、
おそらくこうだと肌感でわかったうえで、
彼らの心を動かすことを考えるわけだ。

そしてそれが効果的かどうか測定するのは、
「自分の人としての感覚」でしかないんだよね。


効果があったかどうかを測定、
分析することはできない。
購買者が増えたとか、売上とかの、
数値に関してはわかる。
だから分析屋は常に過去しか分析できないことは、
知っておくといいだろう。

足跡が誰のものかはわかるが、
どこに足跡をつけるべきかは、
表現者次第である。
そこが踏み抜けるのか、しっかり足をつけられるのかも、
表現者の感覚次第だ。

それを止める人はたくさん増えるのに、
加速しろと背中を押す人はどんどん減っている。

だからこうした分析が、
止める人を止める力になるといいなと思う。
posted by おおおかとしひこ at 15:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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