プロットラインとは、
「複数の件が同時進行していること」と考えると分かりやすい。
「あの件どうなったんだっけ」が複数あるということだ。
解決を待つべき問題Aだけでなく、
新たに発生した問題の件B、
さらに派生してC…
など、問題は常に増えていく。
また、Bは解決したが次にDが起き、
などのように、
全部がいっぺんに起きて、
全部がいっぺんに解決するわけでもない。
タイミングはストーリーによってバラバラだ。
極論すれば、
登場人物の数だけ問題を抱えていて、
登場人物の数だけプロットラインがある。
さらにいうと、
「主人公に関して、恋の話と仕事の話」
のように、一人で複数の件を抱えることもある。
さて、
プロットラインのピンポンを考える。
プロットラインは個別に独立して存在するわけではなく、
別々のものだが関係していたりする。
だから、
たとえばAに関して進展があったら、
Bも進展するとか、
それはCにとって阻害になる、
などの、プロットライン同士のやりとりが存在する。
これをピンポンと呼ぶことにしよう。
あるプロットラインでの進展や失敗などの、
ターニングポイントが、
別のプロットラインに影響を与えるということだ。
具体的でなくて、
イメージで捉えるとよい。
これは、
ストーリーの熱気が、
あるプロットラインから次のプロットラインへ渡される、
ということである。
あるいは、行ってまた帰ってくることもある。
行くとか帰るとかは、人物が移動するとは限らなくて、
焦点、登場人物や観客が、
「いま最も気にしていること」の移動だと考えると分かりやすい。
今起きている場面から、
別のプロットラインへ、
容易にシーンチェンジをすることはできる。
だけど、ただ切り替わっただけでは面白くない。
「そのプロットラインにエネルギーが移った」
ことを確認して、
そのプロットラインの先を見たいと思わせてから、
シーンを切り替えるべきだ。
なんとなく、この続きが書けないから、
シーンを変えて別のところを描いたろ、
なんてことはよくありがちな失敗だ。
なんとなく場面を変えるのではなく、
必然で場面を変えるのだ。
そのためには、
理由が必要だ。
今注目しているプロットラインが、
別のプロットラインに切り替わったから、
場面が変わるのである。
つまり、プロットラインのピンポンにあわせて、
場面が切り替わることが理想だ。
これは、カットの編集と同じだ。
人物が窓の外を見る→窓の外のカット
に編集して繋ぐ時、
人物が窓の外を見たいと焦点を動かしているから、
窓の外のカットがつながるのだ。
人物の注目や興味とカットの切り替わりがシンクロしていると、
観客はカットが変わったことすら気づかない。
このように、シーンとシーンも繋がるべき、
という話をしている。
そしてそれは、
執筆レベルで組むことは難しいので、
プロットレベルで組み上げておくべき、
という話をしようとしている。
つまり、
プロットを書くとは、
どのようなプロットラインがあり、
いつ、何きっかけで、
どういう進展のピンポンがあるのかを、
事前に計算して組み立てることに他ならない。
「なんとなく思いついたストーリーを書く」
がプロット段階ではない。
「プロット段階でしか出来ないことを、
プロットの時点でやっておく」
がプロットだと思うと良い。
何をプロット段階でやっておけばよかったか、
何度も反省会をしないと、
「プロット段階で何をやるべきか?」
は分からない。
だから、何度も何度も書きなさい、と僕はいう。
複数のプロットラインがピンポンする話は、
構成力が必要なストーリーである。
だからこそ、うまく書くと面白い。
このような単純な構造に支えられていることがわかれば、
骨組みも組みやすくなるだろう。
2021年11月28日
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