自分の作品に客観的になることは、
大変難しい。
僕がお勧めする確実な方法は、
「三ヶ月机の引き出しにしまって、一切見ずに忘れる」
だけど、そうはスケジュールが許さない。
で、最近編み出したのがこれ。
足りない、ダメな後輩がいるとしよう。
イマジナリー後輩でもいいし、
ほんとにダメな後輩を想定してもいい。
そいつが生意気にも脚本を書いて来たと仮定する。
さあ、説教してやる、と意気込むのだ。
お前は脚本の何をわかってるというのだ、
何にも分かってないではないか、
俺が基本のキから教えてやるわ。
まずテーマはなんだ?
ログラインを書いてみろ、
構造とテーマが一本線になってないではないか、
舞台設定はいいけど、ガワだけで、
人間の本質を描いたと言えるのか、
など、
など、など…
細かいところを添削してもいい。
さっきのセリフをなんで伏線に使ってないんだよ、
キャラに魅力が足りてない、
どこかで見たような場面だな、
誤字発見!
など、
など、など…
あなたの書いた脚本の表紙には、
おそらくあなたの名前が書いてある。
それを一回消して、
生意気で、ダメな後輩の名前を書いてやれ。
そしたら急に、
ボコボコにしてやる、という気概が湧いてくるものだ。
そして勿論可愛い後輩なので、
「いや、だが、ここはいい部分なので残したまえ」
があるだろう。
そこが、その作品のいいコアになるはずだ。
そこ以外は全部捨ててやり直したっていいんだ。
でも、コアを切って捨ててはいけないのだ。
いや、さらにコアを捨てて、
全く別のもっといいものに生まれ変わらせてもいいぞ。
あなたが後輩に指導するとしたら?
その生意気な鼻っ柱を一回追ってやるとしたら?
その刃を自分に向けると辛いが、
その後輩になら向けられるだろう。
イマジナリー後輩でなくてもよい。
PNは、こうした時に役に立つ。
単に本名を明かしたくないからPNにするのか?
多分僕はそうじゃないと思う。
「これは本当のオレが書いたものではない。
PNという作家が書いたものにすぎず、
オレはPNという架空の人格を演じてるに過ぎない。
だから、この架空の人格に、
ダメ出しをしまくるぞ」
という風に、
「自分とPN人格を切り離して考える」
ことができるようになる。
別人格だから、どんなにボコボコにしても、
ほんとうの自分は傷つかない。
自己批評の辛いところは、
自分に向けた刃は痛いことである。
しかし刃を鈍らせては、
ほんとうの批評などできない。
忖度のある批評など批評ではない。
しかし正直に批評すると傷ついて自殺してしまう。
そんなジレンマを、ダメな後輩やPNという別人格にすることで、
回避できる可能性がある。
こうした別の自分を演じるのは、
女の方がうまいと思う。
外に出る時化粧したりするからね。
化粧してるときは「外の自分」なんて使い分けをしてたりする。
まあ男も「オレ」というときと、
「わたし」とスーツを着ていうときは、
仕事とプライベートを使い分けてるかもしれないが。
とにかく、
あれはオレが書いたんじゃない、
別の誰かが書いたやつで、
オレは傷つかない。
そう思ったら、
本気で批評できるというものだ。
そして、他人だからこそ、
「こうしてはどうか」
と無責任に外からいえるんだよね。
脚本家でPN持ってる人はあんまり聞かないね。
ためしにちんこビンビン丸が書いた作品、
と仮定してみよう。
どうせ大したことないぜ。
2021年12月03日
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