というのはよくある手法だ。
たとえばこう。
https://mobile.twitter.com/ryutamako/status/1476413281116246017
窓を開けたら、振り向いたら、
車の中から、空から、
茂みの中から、穴の中から、
人の後ろから、
など、
「見えなかったところから、
いきなり出現する」
というのはよく使える手である。
「見えなくても存在し続けるもの」
に我々は弱い。
我々は見ることしかできず、
「見えないものを想像すること」
は、後天的に獲得した能力だからである。
「サリーとアンの課題」と呼ばれた測定方法によって、
この能力は6歳程度までには獲得すると考えられている。
「なくしたものは、前あったところにあったはず」
という単純な信念に基づいて行動するわけだ。
「前あったところ」を忘れたのが、
このTwitterの例ということ。
「前あったところ」という記憶を利用するのが、
手品である。
「あったはずのものがない」
「なかったはずのところに現れた」
を利用するわけだね。
手品だと不思議だすごいになるが、
ストーリーの場合は、
そこに「納得する因果関係」が必要になる。
まずは驚きや疑問を提示して、
そのあとに因果関係がわかるようになっているものを、
ミステリーとよぶ。
ミステリーとはつまり、
電子レンジの扉のようなものだ。
扉の向こうに存在するが存在がなかったと思うものが、
突然扉がひらかれて、
「なるほどそうだったのか」と因果関係を納得する。
ストーリーとはすべてそうしたものである。
電子レンジの扉の、この写真を見て、
いつでも思い出すとよいだろう。
何が扉になっているか?
いつそれはどうやって開くのか?
扉の向こうのものはなにか?
その因果関係で納得し、心が動くか?
(心が動くのは、感動だけでなく、笑いや悲劇も含む)
そして「あける」という行動の結果、
それらがすべてわかるのだ。
自然にひらくわけではないことに、注意されたい。
なぜあけるのか?
どうしてあけようとするのか?
そのあけようとすることに、観客は感情移入して、
前のめりになるだろうか?
さらに、
「過去の私と対面した」かのような、
「見立て」の面白さがそこにある。
「前もやってたわ」でもなく、
タイムスリップ的な面白さだ。
この見立てこそが、
人をストーリーに駆り立てる何かではないだろうか?
このたった一枚のTwitter写真に、
全部が詰まってる気がする。
2021年の最後の日に、いい写真に出会えた。
困ったらこれを見て、何が足りないかを考えよう。
2021年12月31日
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