2022年01月18日

主人公を心配する

何故ストーリーを見続けるのか?
主人公が心配になっているからではないか?


主人公が心配になっていなければ、
途中で終わったとしても、
「あれは一体どうなったんだろう」などと思うことはなく、
忘れてしまうだろう。

途中で終わって困るのは、
「あれは一体どうなったんだろう」と、気になるからである。
気になるということは、主人公を心配している、
ということに他ならない。

つまり、主人公がやろうとすることに同調していて、
そのリスクがあることを理解していて、
それは一体失敗せずに成功できたのだろうか?と心配したり、
あるいは、主人公が敗北すると、
「敵の主張する価値のほうが正しい」という結論になってしまうから、
それは許せない、
などである。

そうした心配がない限り、
ストーリーというのは求心力がなくなるものだ。

ただやっていることが面白いとか、
ただキャラクターが魅力的だとか、
ただシチュエーションが面白いとかでは、
ストーリーは持たないのだ。

正確には5分くらいは持つが、
その先は持たなくなるのだ。
持つ、ということはつまり、
「その先が心配になる」ことである、
ということを言おうとしている。

ただやっていることが魅力的だから、では心配にならない。

たとえばダンスしているだけではストーリーにならない。
「足を怪我していて、3分が限界」ということが分かっているときに、
3分を超えたダンスを見せられるから、
心配になったりするのである。

あるいは、「ここまでは覚えているが、ここからはアドリブ」と分っていると、
その先が心配になる。
やっていることが魅力的だからといって、
セックスだけでは30分持たないだろう。
そこに、心配の要素があれば、持つのだ。

ただキャラが魅力的なだけでは、心配にならない。
危うさがあり、いずれ失敗してしまうのでは、
というハラハラがあれば、しばらく見てられるかもしれない。

ただシチュエーションが面白くても、心配にはならない。
その面白げなシチュエーションが壊されて、
まったく違うものになるのでは、などといった心配にならなければ、
その先のストーリーを見る動機がなくなるものだ。


あなたのストーリーでは、
誰が心配だろう?
いつも〇〇、でなくてよくて、
このパートでは、〇〇が心配、のように、
心配する要素はどんどん変わっていってもよい。
おそらく、その心配をもっともされるのは、主人公であるべきだろう。

なぜストーリーを見続けるのか?
ストーリーを見続ける決定的な要素はなにか?
おもしろいから、というのでは少し粒度が低いと思う。

「その先が心配だから、見守る」というふうに考えると、
工夫の余地が出てくるよ。
posted by おおおかとしひこ at 00:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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