何故ストーリーを見続けるのか?
主人公が心配になっているからではないか?
主人公が心配になっていなければ、
途中で終わったとしても、
「あれは一体どうなったんだろう」などと思うことはなく、
忘れてしまうだろう。
途中で終わって困るのは、
「あれは一体どうなったんだろう」と、気になるからである。
気になるということは、主人公を心配している、
ということに他ならない。
つまり、主人公がやろうとすることに同調していて、
そのリスクがあることを理解していて、
それは一体失敗せずに成功できたのだろうか?と心配したり、
あるいは、主人公が敗北すると、
「敵の主張する価値のほうが正しい」という結論になってしまうから、
それは許せない、
などである。
そうした心配がない限り、
ストーリーというのは求心力がなくなるものだ。
ただやっていることが面白いとか、
ただキャラクターが魅力的だとか、
ただシチュエーションが面白いとかでは、
ストーリーは持たないのだ。
正確には5分くらいは持つが、
その先は持たなくなるのだ。
持つ、ということはつまり、
「その先が心配になる」ことである、
ということを言おうとしている。
ただやっていることが魅力的だから、では心配にならない。
たとえばダンスしているだけではストーリーにならない。
「足を怪我していて、3分が限界」ということが分かっているときに、
3分を超えたダンスを見せられるから、
心配になったりするのである。
あるいは、「ここまでは覚えているが、ここからはアドリブ」と分っていると、
その先が心配になる。
やっていることが魅力的だからといって、
セックスだけでは30分持たないだろう。
そこに、心配の要素があれば、持つのだ。
ただキャラが魅力的なだけでは、心配にならない。
危うさがあり、いずれ失敗してしまうのでは、
というハラハラがあれば、しばらく見てられるかもしれない。
ただシチュエーションが面白くても、心配にはならない。
その面白げなシチュエーションが壊されて、
まったく違うものになるのでは、などといった心配にならなければ、
その先のストーリーを見る動機がなくなるものだ。
あなたのストーリーでは、
誰が心配だろう?
いつも〇〇、でなくてよくて、
このパートでは、〇〇が心配、のように、
心配する要素はどんどん変わっていってもよい。
おそらく、その心配をもっともされるのは、主人公であるべきだろう。
なぜストーリーを見続けるのか?
ストーリーを見続ける決定的な要素はなにか?
おもしろいから、というのでは少し粒度が低いと思う。
「その先が心配だから、見守る」というふうに考えると、
工夫の余地が出てくるよ。
2022年01月18日
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