2022年01月22日

間違った文法

間違った文法は、100%修正するべきだろうか?
いつも悩むこと。


仮に、
「間違った文法なのだが、
とても心が動くもの」があったとしよう。

そして、
その文法を正しいものに直してしまうと、
元の良さが大幅になくなってしまうもの。

たとえばデッサンが狂った絵なのだが、
とても魅力的で、
それを正しいデッサンにしたら、
とても平凡な絵になってしまうやつ。

これはつまり、
言い方が面白い表現で、
言ってることは大したことがない場合なわけだ。

言い方が面白いことは、
とにもかくにも魅力的だ。
芸人の短いギャグは、それを追求してるとすら言える。
とくに意味がなくとも、
口馴染みがよかったり、叫んだら面白い、
みたいなことである。


文法を正して、
その魅力が減じてしまう場合、
二通りやり方がある。

1. 間違ったことを受け入れて、
 勢いのある、魅力あるものとしてそのままにする

2. 文法を正したら内容がスカスカになるので、
 内容に関して充実し直すものに変える
 (その上で魅力的な表現にたどり着けばパーフェクト)


2がとても難しいから、1に逃げちゃうんだよね。

やってはいけないのは、

3. 文法を直して、内容がないものを放置して、
「正しいですがなにか?」と開き直ること

だろう。

そもそもの目的「おもしろがらせる」を果たしていない時点で、
クリエーティブとしては最低だ。
小島よしおの「そんなの関係ねえ!」を
「それは無関係です」と直すようなものだ。


表現警察は3を要求する。面白さに責任を負わないからね。
我々は2で答えなければならない。
俺らの方が不利やんけ。
これが、詰まらないが合ってるものが増える原因だろう。

詰まらない国語の先生の添削した文章と同じになる。
じつにつまらない。


現実的な解は、
3に寄り添うふりをしながら、
1を少し目減りさせることだろうか。
しかし、
「おもしろくなくなったなあ」
という負い目をずっと背負うことになる。


今プロの表現は、
こうした文法間違いの刃をたくさん突きつけられている。

文法間違いはたとえにすぎず、
コンプライアンスやら忖度やらなんやらだ。

自由にやってるYouTubeのほうが面白いのは、
それも理由だろう。

我々は2をやんなきゃいけないんだよな。
なんという荊道だろうか。



プロ作家がコミケに出して1000万儲ける、
なんて話をたまに聞くよね。
商売とか表現とか、なんなんだろうって思うよね。

一番面白い競走が、プロの競走になるといいのになあ。


あなたの文法は、何が間違ってるだろうか?
そしてそれを訂正したら、詰まらなくなるだろうか?
直したものがつまらなくなるのなら、
あなたはプロではない。
正しい文法で、なおかつ自由に書いたものより、
面白くあるべきだ。

つまりプロとは、内容と表現、両者の充実であるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:26| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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