2022年01月25日

イメージと論理

頭の中で何をしているのか、現代科学は解明したとは言えない。
だけど、シナリオに必要なのはふたつだ。
イメージと論理。
どちらが欠けてもいけない。


頭の中でイメージを出来る人が、
まず創作者としての資質だろう。

絵をイメージできない人は、
映画シナリオライターには向いていない。
(逆に音楽家など、視覚を必要としない才能があるかも知れない)

また、その凄い絵を表現できないと意味がない。
あなたの白昼夢を、おなじくらい魅力的に誰かに伝えられるか、
ということは、芸術の永遠のテーマだろう。

また、その白昼夢が、
あなたの思うほど大したことがない可能性も、
あなたは検討できなくてはならない。
夢から覚めた瞬間、
ひどく現実味がなく、色褪せるあの瞬間を思い出そう。

あなたの白昼夢はどちらだろう。
所詮夢だから感覚が増幅されていただけの快感に過ぎないのか?
それとも、夢から覚めてなお現実に戻っても、
興奮する内容なのか?

主観と客観だ。
客観視が下手な人は、
あなたの興奮が、あなただけの興奮なのか、
世の中全体、マスを巻き込めるだけの興奮なのかを、
区別できない。(たいてい主観判断しかできない)

それを区別する訓練を積まないと出来ない人もいるし、
最初から冷めている人もいる。
(あんまり冷めてると離人症になっちゃうよね。
なんでもかんでも「何がオモロいの?」と、
分かんなくなってしまう状態だ)

また、
下手な人は、イメージの書き換えも上手じゃない。
「自分の見た白昼夢にどれだけ忠実か」
に終始するのみになってしまう。
上手い人は、
「こうもできる」「こうしたらよくなる」
「こうしたら悪くなる」の判断が的確だ。
「自分の見た白昼夢よりも、こうした方がさらに面白い」
を判断できるほど客観的である。

自分の白昼夢がどのような要素からなっていて、
それらを分解分析できていると、
それらの要素の入れ替えを客観視できるからだろう。
「冷静と情熱のあいだ」なんて僕はいうけれど、
分析は冷静に、表現は情熱的であるべきだろう。


さて、これはすべて、
イメージ、ディテールの話である。
右脳、左脳で言うと、右脳の部分の創作である。

映画シナリオは、これだけではダメで、
左脳の部分、論理の創作が必要である。

それが、ストーリーの論理だ。

なぜそれをしたのか、なぜあれをしないのか、
動機はなにか、それに対してどう思ったのか、
どういう事件が起こったのか、
なぜそれに気づかず、出し抜かれたのか、
なぜそれを知っていたのか、知らなかったのか、
人間関係、社会関係、
事件の顛末、展開の経緯、解決に至った原因、
これまで解決できなかった原因と対処、
これら全体から導かれる結論はなにか。

などなどなどの、
「なんで?」に答えるすべてのことを、
あなたは創作しなければならない。


これは子供が「宿題をできなかった理由」を、
創作することの延長だと僕は考えている。

「やったけど忘れました」に仮にするとすると、
「では今から家に帰って取ってきなさい」
と突っ込まれ、
「やったけど、犬に噛まれてぐちゃぐちゃになった」
と言い訳し、
「ではそのぐちゃぐちゃでいいから証拠を持ってきなさい」
と突っ込まれ、
「全部食べてしまいました」
と言い訳をするような感じだ。

それでもまだ納得しないから、
これを逆転する、「全員が納得する理由」を、
考えつかなければならない。

この例では、たぶんそんなのないだろう。
だから「犬に噛まれた」という設定がまずかったのだな、
と反省して、
別の言い訳を初手から創作するわけだ。

これの高度なものが、裁判だろうと考えている。
法廷劇は、
この嘘の仮定と嘘を見破る、コンフリクトで出来ている。
納得のいく論理立てを出来た方が、勝ちだ。


もちろん、犯罪の立証と逃れを争うだけが、
物語ではない。
いろんな焦点や問題を追うことが物語である。

あなたはそのことについて、
すべて破綻のない、納得のいく、
架空の論理立てをしなければならない。

これはイメージの助けを借りることもあるけれど、
純粋に左脳的な創作だと僕は考えている。

論文は、ある証拠について論理立てるが、
物語の創作は、あるテーマについて論理立てるわけだ。

論文は一万字程度だが、
物語は数万字である。
うち論理半分、イメージ半分ってとこだろう。


あなたの白昼夢は面白いか?

あなたの嘘の論理は面白いか?

そしてそれは、どちらも欠けていないか?


イメージしか出来ない人は、
「なぜそうなるのか」「オチは何か」
「そもそもなぜこの話をしたのか」
「別の論理に変更すること」
などが出来ない。
おそらく、説明や議論も苦手だろう。

論理しか出来ない人は、
「イメージがつまらない」「地味」
「感情が震えない」「印象がない」
などの特徴がある。
おそらく、口は立つが具体を手で作れない人だろう。


どちらも出来なければ、
映画シナリオにならないことに注意されたい。

イメージのみの人は、絵描き、写真家、建築家、服飾デザイナー、
グラフィックデザイナー、などに向いてるかも知れない。

論理のみの人は、政治家、法律家、弁護士、財務士などの、
士業に向いてるかも知れない。

映画シナリオには両輪が必要で、
どちらも人並み以上の能力が要求される。


あなたの弱点はどちら?
得意はどちら?

両輪をバランスよく鍛えよう。
posted by おおおかとしひこ at 00:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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