100年経てば、言葉もだいぶ変わると思う。
頻度も連接も、ずいぶん違ったものになるんじゃないかな。
今から100年前だと、1922年。
大正元年、第一次大戦が終わったあたり。
この頃の文章や単語は、まるで違うとまでは言わないが、
ギリギリ読めるがだいぶ違うよね。
僕が生まれた頃の1970年でも、
その頃の雑誌や新聞や小説や漫画やアニメは、
だいぶ文体が古いと思う。
僕が影響を受けている80年代の文章は、
ネアカとサブカルがテーマであった。
(90年代末になってサブカルが一般的になるくらい?)
最近80年代の邦画を見たりするんだけど、
会話劇が結構つらい。
当時はリアリティがあったのかなこれ。
すごい嘘っぽいんだよね。
(もっとも、素人のリアルな演技、
というものは80年代後半から90年代くらいで一般化したのだが)
平成の文体は、
令和が進むにつれて、古臭い文体になってくだろう。
この100年でもこれだけの変遷があった。
今後100年で全然変わるんだろうな。
そのときに、
統計を元にした新下駄は、威力が衰えるだろうか?
手ごねで感覚的に並べた飛鳥はどうだろう?
日本語の中核の言葉をアルペジオにした薙刀式は?
それがどの程度効力を失うか、
まったく予想ができない。
100年後もまだ人類はqwerty使ってんのかね。
デバイスが違うものになっても、
地球のデファクトスタンダードを覆す方法を、
まだ編み出してないだろうなあ。
参考になるのは親指シフトで、
すでに40年経過したわけだが、
その神通力は、落ちている気がする。
新配列たちの、新しい知見があったからだ。
それよりも、親指シフトが想定していた文章や文体は、
もう現代から離れかかっている可能性は、
かなりあるのでは。
80年代の漫画とか見ればわかる。
今とだいぶ違うもんね。
何が言いたいかというと、
論理配列は、それが出来た時が一番効率がいいってことさ。
つまり、薙刀式を始めるなら、いまだ。
10年後はもっといい効率の配列が出来てるかも知れないし、
ずいぶん日本語は変質していくかも知れない。
僕は薙刀式のおかげで、
文章を書くのがたいへん楽になっている。
qwertyの200倍くらい気持ちがほがらかだ。
それを味わうのは、いまだと思うんだな。
2022年01月09日
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