2022年01月09日

【薙刀式】100年後も論理配列は通用するか

100年経てば、言葉もだいぶ変わると思う。
頻度も連接も、ずいぶん違ったものになるんじゃないかな。


今から100年前だと、1922年。
大正元年、第一次大戦が終わったあたり。
この頃の文章や単語は、まるで違うとまでは言わないが、
ギリギリ読めるがだいぶ違うよね。

僕が生まれた頃の1970年でも、
その頃の雑誌や新聞や小説や漫画やアニメは、
だいぶ文体が古いと思う。

僕が影響を受けている80年代の文章は、
ネアカとサブカルがテーマであった。
(90年代末になってサブカルが一般的になるくらい?)
最近80年代の邦画を見たりするんだけど、
会話劇が結構つらい。
当時はリアリティがあったのかなこれ。
すごい嘘っぽいんだよね。
(もっとも、素人のリアルな演技、
というものは80年代後半から90年代くらいで一般化したのだが)

平成の文体は、
令和が進むにつれて、古臭い文体になってくだろう。

この100年でもこれだけの変遷があった。
今後100年で全然変わるんだろうな。


そのときに、
統計を元にした新下駄は、威力が衰えるだろうか?
手ごねで感覚的に並べた飛鳥はどうだろう?
日本語の中核の言葉をアルペジオにした薙刀式は?
それがどの程度効力を失うか、
まったく予想ができない。

100年後もまだ人類はqwerty使ってんのかね。
デバイスが違うものになっても、
地球のデファクトスタンダードを覆す方法を、
まだ編み出してないだろうなあ。

参考になるのは親指シフトで、
すでに40年経過したわけだが、
その神通力は、落ちている気がする。

新配列たちの、新しい知見があったからだ。

それよりも、親指シフトが想定していた文章や文体は、
もう現代から離れかかっている可能性は、
かなりあるのでは。
80年代の漫画とか見ればわかる。
今とだいぶ違うもんね。


何が言いたいかというと、
論理配列は、それが出来た時が一番効率がいいってことさ。

つまり、薙刀式を始めるなら、いまだ。

10年後はもっといい効率の配列が出来てるかも知れないし、
ずいぶん日本語は変質していくかも知れない。

僕は薙刀式のおかげで、
文章を書くのがたいへん楽になっている。
qwertyの200倍くらい気持ちがほがらかだ。
それを味わうのは、いまだと思うんだな。
posted by おおおかとしひこ at 12:48| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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