2022年01月28日

抽象と具体

抽象と具体についてよく分る、
いい例を見たので。

雑学ː 「ウルトラの父」の本名は

ウルトラマンケン


…まじで?


「ウルトラの父」は抽象的な名前だ。
役割と同じだね。
部長とか、監督とかと同じだ。

だから、その抽象に付与された属性がイメージに含まれる。
ウルトラの父いうくらいだから、
きっと強いのだろうとか、責任感があるのだろうとか、
判断力がすごいのだろうとか、
経験がたくさんあり、引き出しがあるのだろうとか。
父性があり、どんとこいなんだろうとか、
ときに厳しいが、それは息子たちのことを思って、
なのだろうとか。

ところが、
ウルトラマンケンには、そんなものがない。

ただの一個人になってしまい、
責任ある立場とか、父のような包容力はイメージできず、
ただの一人の戦士か、ちょっと調子のいいやつ、
くらいにイメージが落ちてしまう。

これが抽象と具体の差だ。


今調べたら、
当時の流行りのCМ、ケンとメリーのスカイライン、
というコピーからついたらしい。
ということで、ウルトラの母は、
マリーという名前らしい。

えええ。なんか違うよね。

「お父さんもお母さんも昔やんちゃだったんだ」
みたいにアルバムを見せられた気分だ。
ウルトラの父も母もどっか行ってしまい、
イメージから縮小した感覚を受ける。

これが、抽象と具体の差である。



これを知っている人は、
抽象を上手に使うことがある。

「名前を呼んではいけないあの人」とかね。
仮面をかぶっている悪役、または正義のヒーローとかね。
みだりに名を呼んではいけないYHVHや、
本尊が開陳されない仏も同様だ。

物語においても同様で、
バーテンダーや執事、
スナイパー、
医者や刑事、犯人、
運転手、漫画家、
音楽家、
なんかは、その人個人というよりも、
その役割で出演することが多い。

もっというと、「プロフェッショナル」とかもそうだ。

あんたなんとかしなさいよ、プロなんでしょ、
に対してちゃんとやって見せて、
さすがプロだわ、
なんて場面は、
個人のことよりも、抽象的な役割の話をしているわけだね。

抽象のほうが良い例には、
スーツがある。
匿名性が高まるわけだ。

メンインブラックの黒スーツやマトリックスのスミスは言うまでもなく、
スーツ男子のほうが興奮するとか、
リクルートスーツの女の子はいいよねとか、
すべて匿名性が高まり、
その抽象度だけが抽出された例だろう。

仮面やサングラス、マスクは、
こうした抽象度を高める役割をする。
名前も偽名だろうしね。


それを、抽象にしてみるとどうなる?
急に謎めいて、実体より大きく見えるのでは?

それを、具体にしてみるとどうなる?
急に現実的になり、しょぼく見えるのでは?


権威である部長を貶めるには、
田中直樹みたいな、普通の名前を与えてやればよい。
具体的にしょぼくても、
「実は〇〇の資格をもっている」などと、
抽象度を上げるとよい。

それらを使い分けるだけで、
神秘性や期待をコントロールできることに気づくだろう。

もちろん、せっかく神秘的なものをつくったのを、
具体をつくってがっかりさせてはならないわけだ。
仮面を脱ぐのは最終回だよね。


しかしウルトラマンケンとは、
なんというしょぼさよ。
何十年も知らなかっただけ、
衝撃が大きかった。
posted by おおおかとしひこ at 00:06| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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