俺の知っている福間フーコロ創(はじむ表記だったが、
音楽家としての彼ははじめ表記。改名したか、芸名としたか)
は、小6のギャグ大好き少年だった。
彼の訃報を聞いて、初めて彼の音楽をvimeoで聴いた。
なんという繊細さよ。
そういえば、あいつずっと前髪長かったんだよね。
大人になってからの写真も同じで、
ずっと前髪が長かった。
本心を見せるのが怖かったのかもな。
シンセを演奏する彼の映像もいくつも見たが、
俯き加減でなるべく顔を見せたくない、
内気で繊細な少年のように見えた。
作る音楽も、
「私を理解しに土足で入ってこないでくれ。
しかし私はこのようであると言いたい」
という二律背反が同居したようなものたちだった。
死の直前のツイートも見させてもらった。
ただただ普通に生きてて、
メリークリスマスといいながら魚とご飯と味噌汁の写真を上げるあたり、
あいつらしいギャグだなあと思ってみていた。
あいつ、あんなに繊細だったとはなあ。
たしかに神経質な感じはあったけれど、
大阪のずけずけいく小学生の人間関係の中で、
彼は彼なりに「ギャグの達人」という仮面を、
身に付けていったのではないか、
と思えてきた。
僕の知ってるフーコロは、
クラス一の人気者で、一番ギャグが切れてて、
俺のギャグのライバルで、
って勝手に思ってたが、
本当の彼の中はもっと二律背反だったのかも知れない。
でも俺たちのギャグ争いの中で、
あいつは本当に楽しそうだったぜ。
だって俺も、ギャグをやる俺は仮面だったからね。
ギャグをする人としての、居場所を見つけたと思ってたんだよな、たぶん。
似てないキャラだと思ってたけど、
芸術をするこっち側へ来てるってことは、
俺と似た傾向があったのかも知れないなあと思う。
誰かに、わかって欲しいんだと思う。
49日の間はまだその辺にいるらしいから、
俺のところにも来てくれよな。
昨日はツイートにあった、
「人は定期的にチキンラーメンを食べたくなる」を実践して、
チキンラーメンを追悼に食ったぜ。
次は「レディーボーデンは俺と同い年」のツイートを実践しなきゃな。
病気のこともあったからだろう、酒の話は一切なかったが、
いつか飲んでみたかったなあ。
ギャグ抜きで、お前が本当にやりたかったことを聞きたかった。
もちろん俺が人生かけてやりたいことも話したい。
6年生のクラスでは、笑ってた記憶しかねえや。
ああ、階段落としの「ゴー!」が流行った時くらいか、
暗い話題だったのは。あれは俺の運動神経が鈍かっただけだ。
気にしなくていい。あのあと少林寺やって受け身取れるようになったし。
もともとお前のギャグだったコマネチ体操を、
俺とオガヒデが後半受け継いだのは、ライバル心があったからだ。
一回も組んだことなかったのは、
お互いが怖かったからだろうか。
いつかタッグ組みたかったな。
スターのお前を越えようと、
俺は一生の目標にしてたのかも知れない。
お前は止まった。その先へ、追い越させてもらうぞ。
小学校が同じだった者です。(女です。)懐かしくて、嬉しくてここに勇気出して書かせてもらいました。
このコメント、できれば公開しないで、
DMみたいに直接お話できたら嬉しいのですが。。。
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だれやろ。覚えてるふりだけはしたくない…