2022年02月03日

一気にプロットを書いてみること

やってみるとわかる。
詰まったところが、まだ「出来ていないところ」だ。


色々な構想はあるだろう。
カード法やサブプロットも整理したかもしれない。
キャラクターも大体決まってきて、
大事なシーンも浮かんでいる。
なんだか、書けそうな気がする。

こういう時は、一気にプロットを書いてみるとよい。

一気に、というのは、
ノンストップで、ということだ。
ストップの定義は、15秒としようか。
それくらい途切れずに書き続けるやりかただ。


文字数はどうしようか。ペラ一枚でいいのかしら。
もっと長くてもいい。
ずっと構想してきたものほど、
あふれる思いがあるだろうから、
長くなってもいい。

僕はA4に10枚くらい書くことだってある。
もっと長くてもいい。
「全部が繋がった一連のもの」になるまで、
書ききるとよい。
それは自分用のプロットに過ぎない。
他人に見せるやつはまた整理して書き直せばいいと思う。

つまり、
この一気書きプロットは、
「自分の納得のために」やるものだ。

これを経ていないと、他人を説得するものなどつくれるはずがない。


なぜそうなるのか、
なぜそんな行動をとるのか、
ストーリーの砂被り席で、
ずっと記録しよう。

セリフは書かなくていい。
書きたくなるが、書くと長くなってしまうから、
人物の行動やシチュエーションを中心に書くとよい。
脚本形式ではないので、現在形で書くなどの縛りは外してよい。
説明形式でよい。


これらを一気書きしようとして、
必ずテンションが落ちる部分があることに気づくだろう。

人間の集中力はそんなに持たないが、
A4を10枚一気に書く集中力は普通ない。
だから、
どこかで必ず落ちる部分、
あるいは、書けなくなってしまう箇所が、
見つかるはずなのだ。

そこは、その前の構想段階でも、
なんとなく見過ごしてきたところで、
まあ書けるだろうと甘く見積もっていた部分である。

それを発見するために、
一気書きをするのだ。


テンションが落ちる部分は、
焦点が途切れ、
いったん休憩に入る部分だと思う。
それと次のテンションが高くなるところの、
つなぎが出来ていないパターンが多いと思う。

ということは、つなぎを考えれば、
書けるはずだ。
こういうことがありました、
いったん途切れました、
なんと次にこれがあり……の、
「なんと次にこれがあり」を書けばいいということになる。

当然、前からの必然性はない。
いったん途切れているからね。
理想は途切れずに進むことだが、
そんな理想通りにはなかなかいかない。

だから、いったん切れるかもしれないが、
それが始まればそのままテンションは保てるならば、
切れてもしょうがないとは思う。
それが現実的なストーリー進行というものだ。

その、
前から演繹できない展開の部分が、
おそらく一気書きできない、
気持ちが途切れるところじゃないかと思うんだよね。

それを発見するために、
一気書きをするのだと思うとよい。


もちろん、脚本スタイルで頭から一気書きできれば、
それに越したことはないが、
そんなことはまれであろう。
(生涯に何回かはできるかもしれない。
僕は学生時代に90分のシナリオでそれをやった経験がある。
一日かかった。そんなに今体力持たないだろうなあ)


だから、全体を一から最後まで、
プロット形式で通してみるのだ。
ドライリハーサルの通し稽古みたいなことだろうか。

そこで詰まらずにラストシーンまでいけば、
もう執筆をしていいと思う。
もし詰まり、
どうしても次を書くテンションが下がるならば、
「なぜか?」を考えるのだ。

そして原因が分かり、対処法を思いつくまで、
粘るしかない。

あるプロットの線が途切れているかもしれない。
なぜそうするのか、理由が分からないからかもしれない。
次にすることが決まっていないからかもしれない。
決まっていても、今の直結でそれをする理由がわからないからかもしれない。
あるいは、ちょっと先に起こることは決まっているが、
今何をするべきかわからない、という状態かもしれない。

たいていは主人公(たち)の行動が停滞して、
次の行動が見えないときであろう。
それはつまり、目的が消失し、動機もあいまいになっているときではないか。
ということは、それを上手に再設定する場面をつくるか、
誰かから言われたり、自分から言い出しっぺになれば、
いいのではないだろうか。


こうした問題点をあぶりだすのに、
プロットを最初の場面からラストシーンまで書いてみることは、
大変おすすめである。


今書いている話では、
二回書いて、二回とも挫折した。
一回目は二幕前半で、
二回目は一幕後半で挫折した。

三回目の今はミッドポイントを過ぎたあたりで停滞して、
今日やっと出口が見えたところだ。
なるほど、これを思いついていなかったから、
プロットが最後まで通らないんだな、
ということがやっと自覚できたわけだ。


それを自分が分からない限り、
プロットを最後まで自分の納得する形では書けないだろう。
なぜそれが起こるのか?
なぜそれをするのか?
それが気持ちが繋がって展開するかは、
プロットに矛盾や無理がないときだけだ。

それをチェックするために、
一気書きをお勧めする。


また、これで書き終えたものは、
あくまであなたの中でつながった一連である。
他人に見せるプロットとしては膨大じゃないかな。
それをペラ一枚にまとめ直すとか、
2000字程度にしてみるとかは、
それを俯瞰できないとできないよね。
posted by おおおかとしひこ at 00:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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