たとえばqwertyで1500字(変換後)/10分とかで、
自分の思うままのことが書ける人は、
薙刀式などの新配列をわざわざやらなくてよいか?
僕はやった方がいいと思う。
それは、「思考の仕方が変わる」からだ。
僕のqwertyは1500などとは程遠い、
530程度だから詳しいことはわからないが、
どう考えても手は疲れると思う。
算数的に考えれば1.7倍疲れる。
一万カナ書く(一日でこれくらい書くことはまあある)のに、
1万打鍵vs1万7000打鍵。
これだけで疲労度は変わる。
一万カナは変換後大体6000字程度?
このブログ3記事くらいだよな。
一日の疲労は大して問題ではない。
これを毎日やると、回復しないダメージが蓄積する。
こっちの方が大きい。
肩こり、視力低下、腱鞘炎、腰痛。
書くことを続けられるかどうかは、
書くことにおいては前提だと思う。
qwertyは、それを脅かすほど負担が大きいと僕は考える。
小指の異常使用など、指のバランスも悪い。
これも回復しないダメージになるだろう。
若い時は気にならないけど、
おっさん以降はキツいね。
速度面だけで考えるならば、
qwertyで1500から、薙刀式の1500にコンバートする意味はない。
だけど、沢山書き続けたいなら、
qwerty使う人を僕は全力で止めるだろう。
さらに、
僕がqwertyの1500が出来ないため、
想像で書くのだが、
qwertyは段取りが多くて思考が散る感覚がある。
薙刀式など合理的な新配列は、
段取りをなるべく減らす方向になってて、
思考にリソースを割けるようになっていると考える。
以前例え話をしたけど、
「右に行きたい時、ハンドルを右に一回転させる車と、
二回転させる車」だったら、
いかに「二回転を無意識化」しても、
思考がわずかに足りなくなると思うんだよね。
ていうか、今考えたいのに、そっちに手を取られたくない、
という状況は物書きの途中に頻繁にあるわけで、
そのギリギリの時にqwertyは手が足りず速度が落ちると思う。
530の速度の時の僕はそうで、手が追いついてない状況で、
思考は沢山蒸発していった。
同じローマ字で動線効率のいいカタナ式では、
「手が効率動くことは、思考にしあわせ」
だと気づいた。
ローマ字方式からカナ方式の薙刀式にして、
ようやく「手より思考を優先させられる」
状態になったと思うんだよね。
これは1500の時でも同じだと思う。
人間の出力は決まってるから、
手が動いてない方が思考に振れると考えられる。
そういう意味で、qwertyで1500の人でも、
新配列で1500になることは、意味がある。
いや、そんなに書かないし、深い思考しないし、
という人は、新配列を使う動機はなくていいと思う。
でも自転車に乗って行動範囲が広がったように、
いい道具を手に入れると、
それで思考することや書くことが広がる可能性はある。
だから、
気づいていない自分の文才に気づくために、
新配列導入は、検討に値する。
つまり新配列導入は、
qwertyごときで頭打ちになっている、
あなたの可能性を広げる。
薙刀式なら一ヶ月でマスター、三ヶ月程度で前の配列に匹敵する、
という証言が多く(遅くとも半年くらい)、易しいほうだ。
親指シフトは三ヶ月でマスターで、半年から一年で、
前の配列に匹敵らしい。ちょっと効率悪いね。
新下駄や飛鳥や月はどうだろ。あんまり数字が出てこないね。
使ってる人は比較的多いはずだが。
ちなみに新JIS配列では漢語を含む硬い文章が打ちやすいため、
自分の文章がそのように変わっていく感覚が、
以下のブログの後半にある。
https://maborotopia.github.io/post/20202404095408_typing/
道具によって思考が変わる例だと思う。
2022年01月13日
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