それが出来れば話は速いが、
なかなかこれが難しい。
まずダメ出しをしよう。
贅沢な観客になって、
あれがダメ、これがダメというのだ。
無責任に、好き放題いうとよい。
「そもそもこんなもの意味がない」とかの、
存在そのものに対する批判は下手な批判だ。
そうじゃなくて、部分的に、具体的に、何がダメかをダメ出ししよう。
全体の立ち位置の批判は、
「これまでと似たようなものをつくることで安心している」とかならよい。
「新しくつくってその安住から離れればよい」と、
分るからである。
さて。そのダメ出しは、
ペライチ枚に収まらないだろう。
何枚もやっていいぞ。
とにかくダメ出しはいくらでもしてよい。
生意気な後輩が書いてきたメソッドでも同じだ。
お前ふざけんな、映画舐めてんじゃねえぞ、
って思って、プロはこんなことしねえぞ、
と批判していこう。
さて。後半だ。
それを受けたとして、どうすればよいか考えるとよい。
批判を受けることがこわいから、
あるいは批判を返すほどのものをつくれないから、
ならここでおしまいだ。勝手に折れてろ。
この批判をどう返すか、
どうよく出来るか、という戦いが、ここから始まるのだ。
よくないことは分った。
じゃあ、良く出来るはずだ。
水が漏れているなら栓を締めればよい。
水漏れに気づかないなら、栓すら締めようがない。
脚本というのはある種のパズルだと僕は思っている。
それは解法があると思う。
問題は何か。
それを書き出して、整理する。
そうすれば、それを解決する方法は、
必ず思いつく。
問題が矛盾している場合もある。
両方を満たすようにすると矛盾する場合だね。
その場合はどちらを修復するかを選ばないといけない。
両パターンやって、そのうえで選んでもいいよ。
何が問題かわからなければ、手術も出来ない。
火元を確認しないと、消防車は行くべきところが分からないし、
火の規模が分からないと、消防隊の投入規模が分からないよね。
ダメ出しは、だから、修復のためにするのだ。
問題を正しく把握できれば、半分終わったようなものだぞ。
問題は、問題を正しく把握できたとしても、
修復する技量がないときだろうか。
誤った理論や推測に基づいて、
誤った手術をしてしまい、
余計だめになり、それだったら最初のほうがまだましだった、
と自信を無くすパターンだね。
これを防ぐには、修復慣れをしていることだと思う。
短編を沢山やれ、というのはこういうこととも関係している。
長編を経験もないのに直すのは、
相当な運でしか突破できない。
相当実力がないと抜けられないので、
それを身に着けるならば、
短編を沢山書くことで、
ダメ出しから修正の経験値を沢山積むことだと思うんだよね。
短編ならば、ダメ出しの量も限られてくるしね。
最悪全行ダメ出しだが、
長編の全行よりだいぶマシだろうな。
何がダメか、という医師としての診断と、
手術の技量は、別の力だと思う。
これがこう駄目だと分っていても、
直すやり方は執刀医によってずいぶん違うと思うよ。
その、色んなやり方を試すにも、
短編は楽なんだよな。
自分でどれだけダメ出しできるか、
そしてどれだけリカバリできるか。
リカバリ力がないと、
ダメ出しも出来ないよな。
だからこれはループする。
そのループを回したやつだけが、
自己批判から修正案を上げられるのだ。
初めてでそれがすぐに出来るとは思えない。
どんどん練習しておこう。
初めての人は、批判で傷ついて終わるだけだからな。
2022年02月08日
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