2022年02月08日

自分でダメ出しして、自分で乗り越える

それが出来れば話は速いが、
なかなかこれが難しい。


まずダメ出しをしよう。
贅沢な観客になって、
あれがダメ、これがダメというのだ。
無責任に、好き放題いうとよい。

「そもそもこんなもの意味がない」とかの、
存在そのものに対する批判は下手な批判だ。
そうじゃなくて、部分的に、具体的に、何がダメかをダメ出ししよう。

全体の立ち位置の批判は、
「これまでと似たようなものをつくることで安心している」とかならよい。
「新しくつくってその安住から離れればよい」と、
分るからである。


さて。そのダメ出しは、
ペライチ枚に収まらないだろう。

何枚もやっていいぞ。
とにかくダメ出しはいくらでもしてよい。

生意気な後輩が書いてきたメソッドでも同じだ。
お前ふざけんな、映画舐めてんじゃねえぞ、
って思って、プロはこんなことしねえぞ、
と批判していこう。


さて。後半だ。
それを受けたとして、どうすればよいか考えるとよい。

批判を受けることがこわいから、
あるいは批判を返すほどのものをつくれないから、
ならここでおしまいだ。勝手に折れてろ。

この批判をどう返すか、
どうよく出来るか、という戦いが、ここから始まるのだ。


よくないことは分った。
じゃあ、良く出来るはずだ。
水が漏れているなら栓を締めればよい。
水漏れに気づかないなら、栓すら締めようがない。

脚本というのはある種のパズルだと僕は思っている。
それは解法があると思う。
問題は何か。
それを書き出して、整理する。
そうすれば、それを解決する方法は、
必ず思いつく。
問題が矛盾している場合もある。
両方を満たすようにすると矛盾する場合だね。
その場合はどちらを修復するかを選ばないといけない。
両パターンやって、そのうえで選んでもいいよ。

何が問題かわからなければ、手術も出来ない。
火元を確認しないと、消防車は行くべきところが分からないし、
火の規模が分からないと、消防隊の投入規模が分からないよね。

ダメ出しは、だから、修復のためにするのだ。
問題を正しく把握できれば、半分終わったようなものだぞ。


問題は、問題を正しく把握できたとしても、
修復する技量がないときだろうか。

誤った理論や推測に基づいて、
誤った手術をしてしまい、
余計だめになり、それだったら最初のほうがまだましだった、
と自信を無くすパターンだね。

これを防ぐには、修復慣れをしていることだと思う。
短編を沢山やれ、というのはこういうこととも関係している。

長編を経験もないのに直すのは、
相当な運でしか突破できない。
相当実力がないと抜けられないので、
それを身に着けるならば、
短編を沢山書くことで、
ダメ出しから修正の経験値を沢山積むことだと思うんだよね。
短編ならば、ダメ出しの量も限られてくるしね。
最悪全行ダメ出しだが、
長編の全行よりだいぶマシだろうな。


何がダメか、という医師としての診断と、
手術の技量は、別の力だと思う。

これがこう駄目だと分っていても、
直すやり方は執刀医によってずいぶん違うと思うよ。
その、色んなやり方を試すにも、
短編は楽なんだよな。

自分でどれだけダメ出しできるか、
そしてどれだけリカバリできるか。
リカバリ力がないと、
ダメ出しも出来ないよな。
だからこれはループする。
そのループを回したやつだけが、
自己批判から修正案を上げられるのだ。


初めてでそれがすぐに出来るとは思えない。
どんどん練習しておこう。
初めての人は、批判で傷ついて終わるだけだからな。
posted by おおおかとしひこ at 00:13| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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