2022年02月14日

ストーリーのおもしろさは、4種類にわかれる

という仮説。
その成分比で、適するメディアが違うかも。


その4つとは、

・ツカミの面白さ
・展開の面白さ
・満足感の面白さ
・静止画的な面白さ

だと思う。


まず最後のやつから見ていく。

「静止画的な面白さ」とは、
時間軸を必要としない「面白さ」だ。

キャラ設定、世界観、シチュエーション、
絵の美しさやデザイン(これは脚本には書けないが)、
などがあると思う。

ストーリーとは時間的な変化であるが、
変化なしで面白さを感じられるもの、
としてみよう。
極論、「タイトルが魅力的だ」でもいい。

これは多分にセンスの問題かもだ。
好みが分かれ、性癖が関係してそうだ。
スチームパンク的だったらなんでも面白く感じるとか、
話はいいんだけど大阪を舞台にするのは好きじゃないとか。

こればかりが多く、
他の三つが少ないものは、
シナリオの醍醐味がまったくない、
シャシン的な、ポスター的な面白さどまりだと思う。

僕はこれをガワとひとくくりにしている。

近年、ガワだけで中身が薄いものが増えた。
ガワは企画書に書きやすく、
中身をきちんと理解するには、
脚本を読み込むことでしかできないからだと考えている。
つまり、ガワはバカでもわかる。

SNSで炎上しやすいものは、
本質的なことを理解しない、
ガワや表面だけで判断するバカのせいだ。

逆にいうと知性とは、あるものからガワを取り除き、
捨象できる能力だと考える。

もちろん、骨格だけ魅力的で、ガワがブサイクなのは商売にならない。
美人なだけで中身の伴わないのもだめだ。
ガワで釣り、中身で満足させるのが理想だ。


あとの三つは、時間軸を伴う面白さであり、
シナリオでしか表現できないものだ。
時間順に見ていこう。


「ツカミの面白さ」は、
それだけでつかめて、期待させる面白さである。
転校生が美人だとか、
猟奇殺人が起こったとか、
帰宅したら家が焼失していたとか、
ある日次元の穴が開いたとか、
隕石がニューヨークを壊滅させたとか、
インパクトがあり、
これはこのあとを見なければ、と思うものをいう。

つまり、
「そのあとに興味を引けるもの」をツカミという。
もちろんガワがツカミとなる場合もある。
ガワとツカミの違いは、
「それがこのあとどうなる?」と、
この後に期待させるものをいう。

可愛い子の微笑みは、
それ自体が魅力的なガワでもあるし、
このあとに恋やスケベを期待させるツカミでもあるわけだ。


この成分だけが強いとどうなるか?
「期待させるだけさせて、肩透かし」になるわけだ。
エヴァはそうした作品である。
連載物もそうしたことをやってくる。
掴むだけ掴んでおいて、
その先をなかなか出さず、課金させ続けるシステムである。
キャバクラ嬢と同じなわけだね。

「これは期待できそうだぞ」
だけで引っ張る作品に、
「マルホランドドライブ」という、
未完成映画と断言してもいい作品がある。
そのツカミはどれも面白そうなのに、
結局何にもなっていない、稀有な作品だ。

普通そんなものは制作されない。
シナリオ段階で、
「ツカミは出来てるが、その他が不完全だ」
と判断されるからだ。
なぜ作られたのかの経緯は調べていない。
当時誰もが訳知り顔で「解釈」を披露して、
高尚な作品だと分かってるフリをしたが、
「あほか出来てへんだけやんけ」と王様は裸だと言ったのは、
僕の周辺では僕だけで、とても変な目で見られたものだ。

ツカミだけとはどういうことか、
これを見たら大体わかる。
パンチラだけ見せて高額料金を取られる詐欺だね。

前振りは立派だったのに、
途中からよれてしまった作品に、
漫画「ドラゴンヘッド」があるね。
一体どうなる?と思わせておいて、
何にもなっていない。
漫画「アイアムアヒーロー」もひどかった。
風呂敷を広げっぱなしで、
畳むことに失敗している。


「○○はおもしろい」というとき、
このツカミの話だけをしていることがある。
まだ話は途中なのにおもしろいのは、
ツカミで期待してて、
かつガワが良いからだと考えられる。

しかしあなたがこれまで沢山の作品を見てくれば、
そうだからといって、最終的にはクソだったものが、
うず高く積まれていることを知っているはずだ。

それは、「途中まではおもしろいが、
結局はおもしろくない」だと思う。

連載物やサブスクは、
「結局はおもしろくない」をバレさせないように、
自転車操業を続けて、
「この先があるんですよ」と言い続け、
課金させ続けるシステムだともいえる。

これに比べて、
映画は完結作品で勝負だから、
ガワやツカミのおもしろさも大事だけど、
この後のものの方が比重が高いと考えられる。



時間軸の第二要素は、
「展開の面白さ」だけど、
それよりも第三要素の、
「満足感の面白さ」を見よう。

満足感とは、見終えた後に、
「ああーおもしろかった!」ということだ。
ツカミで引き込まれ、
展開でおもしろいと思い、
それが解決し終えたときに、
全体像を振り返って俯瞰した時、
「ほんとうにおもしろかった」と思うことだ。

ラストのキレで、それが確定する。
なぜなら、それが、
「この作品の全体の意味」だからである。

なるほど、これのために全てがあったのだ、
よかったよかった、と満足するかだろう。
デザートを食べているときに、
前菜からメインまでが渾然一体となった記憶になり、
素晴らしいセットであった、と思う感覚だ。

それはつまり、
ツカミの期待に対して、
満足に答えたか?
ということなのだ。

カワイイ転校生がやってきたら、
その恋は成就するのか?に、
満足のいく答え、それまでに納得のいく過程があるか?
ということなのだ。

つまらない日常がその子のおかげで薔薇色に変わるとして、
「恋っていいね」になるかどうかということだ。

もちろん、
ラストの意味、すなわちテーマは、
色々なものがあってよい。
だが、ツカミの期待がオチに来ていないと、
なんのためにつかんだのか分からなくなる。
すなわち、
ツカミはオチの前振りであるべきだ。

ただ単に掴むだけなら誰でもできる。
オチでほんとうに満足がいくためには、
ツカミの問いに、きちんと答えているからである。
逆算すると、
落とせるツカミでなければならないわけだ。

ツカミで掴んだはいいが、
落とし方が分からない、という焦りは、
見切り発車にありがちだ。
それをライブ感なんていうけれど、
それはライブに満足してるだけで、
ツカミという問いの答えに満足してるわけではない。

人には、
「金を払ったからには、私は満足したと思いたい
(損したと思いたくない)」という欲望がある。
(認知的不協和理論)
だから、満足してなくても満足した、
とうそぶくことになり、
どこが?と聞かれたら、ガワを答えてしまうことが多いのだ。
○○の演技が良かったとか、
きれいだったとか、
ギャグが切れてたとかね。
ほんとうに満足したら、そんなことは瑣末だとわかる。

ほんとうの満足とはつまり、
ツカミの強烈な誘いに対して、
蹴りをつけているかどうか、という一点だ。

「映画はラストシーンで決まる」とは、
そうしたことを言っている格言だと思う。

サブスクで引っ張る連載物と違い、
結論こそが映画なのである。

もちろん、ここに辿り着かないとそのおもしろさは堪能できない。
だからこそ、
これまでもすべておもしろくなければならない。
針の穴を通すような行為なわけだ。



「展開のおもしろさ」は、
ツカミと満足の間にある、
なんでもありである。

そもそもツカミで起こったメインの事件が、
どう進展して右往左往するか、
という焦点のおもしろさでもあるし、
サブプロットがおもしろいというものもあるだろう。
歌やダンスでおもしろがらせるパターンもあるし、
このすごいガワはここでしか見れない
(すごいCG、絶景、すごいバトルシーンとか)
なんてこともあるだろう。
女優が脱ぐシーンはここでしか見れないかもだし。

どんなことをしてもよい。
前菜とメインディッシュの間に、
楽しませればよい。

引いた目で見れば、
前菜とメインディッシュの間にくるべきものは、
それらと被らない、別方向のものがいいだろう。
展開部で、
いろんな場所へ行ったり、
いろんな人が出て来たり、
いろんな事が起こるのは、
そうしたおもしろさのバラエティで飽きさせないためだ。

そして必然性がなければ、
ただ思いつきでやっただけに見えるので、
「これはすべて必然性でつながった一連である」
とわかる必要がある。

なぜなら、因果関係のないものの挿入は、
ゴールへの最短距離ではないからで、
寄り道している、無駄をやっている、
ように見えるからだ。

展開部のおもしろさはまさにそこで、
必然性があり、因果関係があるにもかかわらず、
ツカミと満足の間で、さまざまなバラエティのおもしろさを見ること、
だと僕は考えている。
ただおもしろいことをやっても、
展開にならないのはそれが理由だ。


展開部のおもしろさは、
連載物でも見られる。
ツカミ→展開→一旦結論にたどりつき、
満足かと思いきや、
まだ解決していない○○があり、
話は続くのだ…
となるのが理想だろう。

これは映画でも同じだ。
小問題が解決したら、
次の小問題へ話が移るのだ(ターニングポイント)。

展開部は、
飽きさせないように、
さまざまなバラエティを用意するだけでなく、
起伏にも富むべきだ。
起伏の起は、問題解決に進む方向、
伏は、交代する方向、と考えるとわかりやすい。

リズムや色を変えて、アップダウンもある、
ジェットコースターが、展開部のおもしろさだ。

メインディッシュに繋がる起伏がありながら、
副菜への興味も引きつつ、
上手にメインディッシュへ誘導するわけだね。



これらの、
4つのおもしろさが、
「ストーリーのおもしろさ」として、
混同されている気がする。

「○○がおもしろい」というとき、
どのおもしろさのことを言っているか?
自分はどうか?
他人はどの意味で使っているか?
慎重に分析してみよう。

おもしろいは主観だから共有できないだろうか?
別種のおもしろさを同じ「おもしろい」で言ってるから、
理解しあえなくなるのではないか、とふと思う。

満足のおもしろさが足りないから詰まらないという人と、
ガワがおもしろかったからセーフという人が、
すれ違っている気がする。
posted by おおおかとしひこ at 00:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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