もうひとつの大イベントの伏線と回収の話。
ネタバレありで。
メイの死は、とても痛ましかった。
だけどその痛みこそが、
本作の意味だ。
「自分の決断は正しかったのか?」
と激しく自分を責めることが、
正義とは何か?の意味だからだ。
(ライミ版の2では、
小さな火事が起こっても、誰かが助けるやろと、
スパイダーマンにならず放置して、
「あの火事で一人死んだ」とあとで知るシーンがある。
「スパイダーマンなら助けられたのに」と誰もが思う、
痛ましい後悔のシーンだ)
なぜそのように痛みを共有できるのか?
メイへの感情移入はどこで作られるのか?
二つの伏線と回収につきる。
一つ目は、
ハッピーとの別れである。
強気のメイと、オタオタするハッピーの対比がよい。
気の迷いとか遊びとか言ってたっけ。
まるで男みたいな言い草のメイと、
言い訳ばかりして取り繕うハッピーの対比がよかった。
いわばコメディリリーフだ。
(死の場面に駆けつけるのは、
よく考えるとご都合主義的だけど、
立ち会う目線の芝居がとても良かったので、
何もいうまい。
悟るハッピーと、どうしていいか分からないピーターの、
対比がとても良かった)
この伏線は、ラス前、
墓場での再会で回収される。
コメディリリーフで、
楽しかったはずの二人の関係が、
初対面というとても冷たい関係で描かれる。
でも「スパイダーマンを通じた知り合い」
という上手い言い訳で、
二人の中に男同士の絆みたいなのが生まれるのが、
とても深く心に沁みる。ここがうまい。
あんなに楽しかったことと、
こんなに悲しいこと。
よく考えてみよう。
たった2シーンでこれを実現している。
これが上手い脇役の使い方だ。
伏線のシーンは1シーン、回収も1シーン。
こんなにコスパがいいやり方があるだろうか?
そもそもハッピーはなぜメイに惚れてたのか、
結局よく分からない。
真剣だったかどうかすら分からない。
でもハッピーの墓場での表情が全て物語る。
死を知るシーンを現場にしておかないと、
メインプロットの間に挟むには、
手間がかかるし、
「直接見る」ことの方がショックは大きいよね。
このたった3シーンで、
ハッピーの悲しみと、メイを失った悲しみを、
我々は共有できている。
とてもレベルの高い脚本だ。
しかも伏線であるところの、
コメディリリーフのシーン、
ドア前で嘆くハッピーは、
「正体が晒されて、マスコミが押しかけている」
という騒動での、傍の出来事であった。
テレビをつけ、外にはヘリが飛び、
というのを皆が知る場面で、
ハッピーだけがよりを戻そうという、
別のテンションだったわけだ。
それが伏線になっている。
同時にそれをやってのける、あのシーンのレベルの高さよ。
この監督は、
部屋のシーンがとても上手だ。
ドア、テレビ(一種の窓)、窓とカーテン、
などをうまく使っているよね。
カフェでも、レジや、テイクアウト前提のコーヒー、暗記セリフとカンペ、
ドーナツの棚、L字のテーブル、
飾りつけなどをうまく使っていた。
部屋に怪人全員が集まるトンチキな絵も素晴らしく、
サンドマンが座ったソファに砂が落ちて払うのも良かった。
スパイダーマン1(ホームカミング)でも、
父親の運転する車で、
赤信号から青信号に変わる様をうまく使っていた。
二つ目の伏線と回収は、
スパイダーマン全シリーズを通じたテーマ、
「大いなる力には、大いなる責任を伴う」
の回収である。
これまではベンおじさんが言ってきて、
ここは変えられないいい所なのだが、
ベンおじさんのいない今シリーズでは、
なんとこれをメイの死の直前に回収して、
ドラマツルギーを編んできた。
我々シリーズを見てきた者には、
「ここで回収するのか!」と驚くとともに、
メイの死を覚悟する仕様になっている。
You did the right thing.
You have a power.
Great power has great responcebilty.
だったかな。
責任という単語以外は、中学英語だよな。
簡単な言葉が一番力があるわけだ。
脚本のセオリーを考えれば、
最も悲劇が起こるのは、
最も嬉しい瞬間のあとだ。
誰もがスパイダーマンを敵視して、
自分一人の主張(怪人を科学の力で治す)を貫くが、
失敗して、
それでも「あなたは正しい」と、
味方をしてくれる。
大きな流れで言えば、
マスコミに追われている誤解された状況、
魔法をかけようとするが、わがままで失敗
→怪人たちの回収に成功
→だが運命を知り、治療を志す
→本当にうまくいくのか?という不安
(部屋に全員怪人がいる、という珍奇な絵)
→ドックオクで成功
→エレクトロ、グリーンゴブリンで失敗
という、
大きな「成功と失敗」の波がある。
(今回の話は基本失敗続きだ)
その中の最大の失敗、
ゴブリンを目覚めさせてしまったことのあとに、
メイが「それでも正しいことをした」と、
承認してくれること、
味方になってくれることが、
どれだけ心強いか。
その浮かせてからの、
大テーマのセリフだ。
ああ、ここをピークにするのか、
と、夢中になりながらも、
うまいなあと思っていた。
このあとの悲劇、死へ突き落とすための、
これは計算されたジェットコースターだからだ。
メイが一人階段で治療薬の袋を持って走らせるのも上手いよね。
おばさんにそんなことさせて、
出来んのかよ、というハラハラ感がうまい。
run!とメイに走らせて、1Fのロビーに直結してたら、
メイへの感情移入は弱まる。
おばさんが一人階段を長いこと駆け降りるから、
メイのがんばりに感情移入するのだ。
あんたもヒーローだぜとね。
行動こそ映画である。
行動を組むことが脚本だ。
「非常階段を白い袋を持って駆け降りる」だけの、
日常でも撮れるシーンで、
我々は感情移入するのである。
そして、スパイダーマンシリーズとは、
学園ものの「日常で撮れるシーン」で、
全てを表現するシリーズだ。
そのネタを拾うのが大変上手い。
高校に登校した時に、
三人の学長たちが、迎え入れる場面も大変上手かった。
反対する奴が一人いて、
スパイダーマンコーナーで学生たちが作ったというのも上手いし、
それを学長が手伝ってたとバラされるのもすごく上手い。
そのあと生徒たちにスマホでめっちゃ撮られるのも含めて、
あれ1シーンなんだよな。
どんだけ上手なんだよなあ。
ただの会話シーン、
「我々は君を歓迎するし、一生徒として扱うよ」
なんて普通に見るシーンではなくて、
「手作りコーナー」と、三人の賛成反対という、
「見たことのない新しいオリジナル場面」にすることで、
このシーンは新しくなっている。
脱線したのでメイに戻ると、
こうした、伏線と回収があるからこそ、
メイの死は心に響くわけだ。
細かいことを言えば、
「呼吸を整える」を、うまく使ってたね。
呼吸を整えないと喋れないを先に使って伏線を張り、
大事な会話があったのち、
「また呼吸を整えなきゃ」となって、
それが死にかかってる、と分かるのは、
大変上手かった。
どこまでも、伏線と回収を上手に使っているわけだ。
伏線と回収というと難しいから、
僕は「フリ」と、「それを使う」と考えると楽だと思っている。
何かしら前振りをしておいて、
のちのちそれを使うわけだ。
フリというとわざとらしくなるから、
いっそ記憶に残るほど大目立ちさせて、
何かしらそれでストーリーを進め、
それを使う段になって、
「あれはフリだったのかよ!」と驚くことが、
いい伏線と回収だと考えている。
伏線と回収とは、
要するに見ている我々観客が「あっ」と、
驚くことなわけだ。
過去と現在が繋がり、
驚く瞬間だと思って良い。
我々時間軸を認識する人間という生き物は、
過去と現在に関係があることを認識できる。
(鳥は3歩まで)
その認識細胞の点灯する瞬間が、
「伏線の回収」と呼ばれる現象であると思われる。
人間は過去と現在を線で結ぶことができる生き物で、
原因と結果、因果を認識できる生き物である。
過去すぎて忘れていたが、
「そういえばあれが」と、
線で結ばれる瞬間を娯楽化したものが、
「伏線と回収」である、
と考えられる。
まあ、そんな難しいことを考えずに、
何かをやるなら前振りをしとけよ、
ということだろうね。
脚本の逆算の要素だ。
あとあとアレがあるから、
そこで「あっ」と思わせるために、
今ここでやっておく、
という決断が出来るには、
プロットが全てできていなければならない。
墓場で、全員に忘れられたピーターが、
ハッピーと再会する痛ましいシーンがあるならば、
そのシーンの逆算で、
メイの死に二人は立ち会うべきだし、
その逆算で、
コメディリリーフであるべきだ。
メイの死をドラマティックにするためには、
メイは行動で活躍する必要があるし、
その直前はメイが「あなたは正しい」と認める、
泣けるシーンであるべきだし、
そこが泣けるシーンであるためには、
その前は失敗続きであるべきだし、
「正しい」と認められるには、
怪人の誰かを治す成功が必要だ。
これらの逆算が全てできていない限り、
メイの死は、これほど我々の心を揺さぶらないだろう。
最初から、
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」のセリフを、
メイが言うことが決まってたのだろうか?
ベンがいないから、今シリーズはないと思わせておいての、
満を持したキラーセリフだったのだろうか?
そこは監督に聞くしかないが、
ここまで逆算で考えていた可能性すらあると思う。
ベンには言わせず、メイに言わせるぞと。
そのために、
「今回のメイ」は、
エキセントリックで現代的な、
セクシーおばさんにするぞ、
という逆算もあったかもしれないね。
言いそうにないキャラだからこそ、
それも伏線だったわけだ。
勿論、このような劇的な死の間際にそれを言う所まで、
最初からできていたとは思えない。
だが、
「死の時に大事なセリフを託す」くらいは、
決まってたのかもね。
三部作で一応完結だから、
完結編にこれを入れようと、
勝負してきたパートだと感じた。
ほんとうにお見事、
と言わざるを得ない、
メイ周りのストーリーラインであった。
メイ周りはカロリーが少ないのに、
めちゃくちゃ凝縮されている。
この脇役の使い方こそ、
教科書に載るレベルだと思うよ。
2022年01月23日
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