2022年01月23日

宣伝と映画(スパイダーマンNWH評5)

宣伝は、一企業の営利活動であるが、
それだけでは宣伝として足りないと僕は考えている。
宣伝は、文化であるべきだと。


僕がいつも理想に描くのは、
バナナの叩き売りである。

いいバナナの叩き売りと、
下手なバナナの叩き売りがいる。

下手なバナナの叩き売りは、
これだけ安いと言って顧客のベネフィットを強調したり、
うまいよと言って品質の良さをアピールする。
あるいは、早く買わないとなくなっちゃうよ残り10個、
と急がせたり、
ちょっと傷んでるから割引だよとか、
沢山買ったら1割引とかする。


いいバナナの叩き売りは違う。
まず名調子である。
口上を聞いてるだけで幸せになる。
内容なんてどうでもよくて、
その名調子を聞くためだけにそこを通る。
内容は聞いていない。音楽を聴きに行くのだ。

そして、大抵バナナの話なんてほとんどしない。
全然違う「面白い話」をしてくれる。
うんちくだったりとか、近所の秘密とか、
世間話とか、踊りや歌などではない、
話芸を披露してくれる。
それが面白いから、人が集まるようになる。

客寄せパンダとは少し違う。
客寄せパンダはとくにバナナを売らない。
叩き売りは、売る本人、
商売する本人が面白いことをする。

つまり、信用を先に得ることをしている。

この人はおもしろい、この人は信頼できる、
じゃあこの人が勧めるものならば、
値段を見なくても、品質をチェックしなくても、
買ってもいいと思わせること。
そして品質に問題があったとしても、
次の日バナナの叩き売りのところへ行けば、
ちゃんと向こうは謝り、おまけをつけてくれて、
信用を回復してくれること。

「あなたと一緒に生きている、
おもしろい、信用できる、逃げない人」
こそが理想のバナナ売りである。

客寄せパンダは逃げちゃうからね。



下手なバナナの叩き売りは、
品質と利益とか、割引とか、妥協と押し売りとかの、
商品と消費者の間の、一次元の綱引きしかしていない。
そんなのどっかで最適解になるにきまってんじゃん。
あんたいなくてもそうなるよ。

いいバナナの叩き売りは、
金と品質の間の綱引きはしない。
(もちろん商売だからしないわけにはいかない。
面白い話がほとんどで、あとバナナの話は1割もしないだろう)

その綱引きはどこででもやることで、
それはおもしろくないことだと知っているからだ。

それよりも、
「自分のおもしろい独特の話が、
客を信用させている」
ことをやっている。
次元は金と品質の一次元ではなく、
それと別の次元の戦いをしている。

もちろん、そのバナナの叩き売りよりも、
十円でも安いバナナが現れれば負けるかも知れない。
でもそんなの短期的な勝ち負けにすぎず、
多少高くても面白い話をする人から、
信用できる人から買いたいと思うものである。
いわばその十円の差額は、
そのおもろいおっちゃんへの応援になるわけだ。

これが宣伝である。


宣伝は、信用されなければならない。
「あなたが言うなら買うよ」と言わせなければならない。
どれだけ安かろうが、
どれだけ品質が高かろうが、
それは宣伝とは関係がない。
ただのスペックだ。

そしてそのスペックで買う人は、
宣伝しなくても買うんだよ。
宣伝の仕事は、そんな人向けにはない。
それよりもずっと多くの、
「買おうかどうしようか迷っている人」のためにある。
その迷う人の背中を押すのは、
スペックじゃない。
信用だ。

この人の言うことならしょうがねえか、とか、
この人を儲けさせてあげたいな、とか、
この人になら、騙されててもいいやとか、
そう言う感情である。
ぶっちゃけ、その人を好きにさせることが、
宣伝の仕事だと僕は考えている。

手段はなんでもいい。
うんちくや、噂話が面白くてもいいし、
芸があってもいい。

この「おもしろい信用」を得ることを、
クリエイティブとよぶ。


広告からクリエイティブが失われている。
いい感じの映像に、
その会社の考えることをナレーターが読むような、
僕らが会社ポエムと呼ぶ手法ばかりだ。
そんなの面白いわけないじゃない。
新書になるくらい新しくすごい考え方ならおもしろいけど、
そうじゃない、どこかで聞いたものの組み合わせばっかりだ。
こんなの効くわけがない。

なぜなら、それは一企業の都合を押し付けているだけで、
文化がないからだ。

「おもしろい」とは文化である。

生活必需品を整え、最低限の生活ができるようになった次の、
心を潤わせることだ。
コロナで文化は不要不急とされたが、
その文化がないと、
どれだけ心が縮み、人生がつまらなくなるか、
痛感したと思う。
文化は余裕であり、文化は心の柱である。
多少の生活を犠牲にしてまでも、人は文化を求める。
なぜなら人には心があるからだ。

「女房を質に入れてでも」なんてのは古い表現だが、
それだけの価値が文化にあるわけだ。


文化は人を集める。
文化は人の心を豊かにする。

これはスペックの一次元問題ではない。

スペックだけで買う人はもちろん一定いる。
コアユーザーがそれだ。
だがマスを狙うのが商売だ。
どうしようかなあと思う人の背中を押したり、
全く興味がなかったのに、興味を持ち始める人を、
どんどん増やすのが、
マスを向いた宣伝である。

つまり、
宣伝はスペックを語るのではなく、
文化で人を集めるべきだ。
一次元ではなく、多次元の活動であるべきだ。
その方が効率がいいからだ。


これが、バブルから90年代いっぱいくらいに、
日本がたどり着いた広告宣伝のフィロソフィであった。
おもしろくなければ振り返って貰えないし、
ただおもしろいだけじゃ心に深く刺さらないし。
スペックを語るやつは、面白くないやつだとされた。

失われた20年の間に、
広告宣伝はレベルが落ちていく。
文化は余裕であり、企業に余裕がなくなったからだ。
(余剰金という意味での余裕があっても、
広告費という「無駄」に金をかけるべきではないと、
企業文化が変わってきた。
これはコロナで劇場を閉めたことと、
全く同じ愚かな判断である)

だから、
今宣伝に文化がない。

「宣伝に文化がない」が批判にならないくらいになっている。
「え?宣伝って文化が必要なんですか?」って、
若い宣伝部ならいうかも知れないね。

じゃあおまえ、バナナの叩き売りをやってみろ。
三年間やって信用されろよ。
あんたがバナナの現場から退いたら、
誰も買わなくなってしまったくらいに、
文化の中心になれよ。

それが出来ないから、
宣伝は文化を伝えられなくなってしまったのだ。



前置きが長くなった。

映画の宣伝は、かつて確実に文化であった。
「こんな新しい考え方、娯楽がある」と、
キャッチコピーで教えてくれた。

ジブリの「わすれものを届けにきました。」や、
「落ち込んだりもしたけれど、わたしは元気です。」
なんてのは、その文章自体が文学という文化だ。

「この宇宙では、あなたの叫びは誰にも届かない。」
(エイリアン)
「母さん、あの麦わら帽子、いったいどこへ行ったんでしょうね。」
(野生の証明)
なんて、真似して言いたくなる「考え方」が、
流行した。

映画ではなく、宣伝が流行したのだ。

バナナの叩き売りと同じである。

バナナはどうでもいい。
おもしろいやつがそこにいるかなのだ。


もちろん、優れた広告宣伝は、
おもしろい文化のふりをしながら、
実はバナナのことを言っていたのだ、
というカラクリがある。
糸井重里の名コピーは、そうした要素を多分に含んでいる。


宣伝は流行するか?
つまり、流行歌や流行服のようになるか?
なるべきだという考え方が、
今の広告宣伝部に、皆無だろう。


そして、もちろん、映画は文化である。
文化を売るのに、宣伝が文化的でないってどういうことだよ。

僕は長いこと広告業界にいるが、
もう誰も広告を文化だと思ってないんじゃないか?
文化をつくるのは映画やドラマや歌などの、
「本体」であり、我々は一企業のメッセージを預かっているだけだと、
思っているのでは?

かつてはそうではなかった。
「俺らはテレビよりおもしろい」といった名物が、
そこかしこにごろごろしていた。
だから広告から文化がたくさんうまれ、
その他の「本体」と競い合っていた。


映画の宣伝は、そうなるべきだ。

バナナがどれだけおいしいか説明してる場合ではない。
まずその予告や宣伝を夢中で見るだけの、
新しい組み立てを考えればいいのに。


ちなみに、
公式HPでスパイダーマンNWHのキャッチを確認したが、
「全ての運命が集結する」
ですって。へぼ。

バナナの話しかしてないやんけ。


帰るべき場所を失った怪人たち。
帰るべき場所を失ったピーター。
彼らは、元の場所へ戻れるのか。
スパイダーマン/帰るべき場所

この言葉を見て立ち止まり、
「帰るべき自分の場所はどこだろう」
と、スパイダーマンに興味のない人すら振り向かせるのが、
キャッチコピーの力である。

僕はコピーライターじゃないので、
上に書いたものは三行になってしまった。
でも機能することが優先で、
一行にすることが優先じゃないと思った。
「全ての運命が集結する」は、
一行で読めたとしても、
読んだだけでへぼいと思ってその場で捨てるからである。


ポスターも同様だ。
ブロッコリーつくってんじゃねえよ。
それはバナナをどれだけバナナに見せるかでしかない。

おもろいおっちゃんは、バナナとは違う話から始めるんやで。

大阪のおっちゃんに宣伝部が負けてることが、
俺には全く許せない。
そのおっちゃんスカウトしてこいや。
posted by おおおかとしひこ at 19:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。