2022年01月26日

遠くまで来た感覚

興味深いツイートを見たので。


> 荒船泰廣@arafune
> 2021年8月26日
> 大作ゲームってクリアするのに100時間くらいかかるけど、そんなに長い物語って中々ないよな。
アニメだって1年で50話見たって25時間くらいだし、漫画だって1巻30分くらいだとしてま200巻読まないと100時間いかないし。
100時間くらいゲームやると、最後は随分遠いところまできたなぁーって感慨深いね。

いうても、
ゲームでは、試行錯誤する時間や、作業時間、
やり直し時間の方が、
圧倒的に多い。
物語自体の進行部分は100時間のうちどれくらいあるんだろ。
ムービー部二時間とか昔言ってたけど、
今はどんくらいあるんだろう。
作る手間考えれば、そう変わらないのでは。

とはいえゲームには「体験してる時間」が含まれている。
それが「遠くに来た感じ」になるのだろう。


逆に、あなたのストーリーは、
このような「遠くに来た感じ」を、
最後に持たせられるだろうか?

最初の場所から出発して旅をして、
遠くにたどり着けばいいのではないぞ。

全く同じ場所でのストーリーだとしても、
最初の解釈や感覚と、
全く違う感覚になっていれば、
「ものすごく遠くに来てしまった」
と振り返って思えれば良いのだ。

すなわち変化である。
物理的距離ではなく、
心理的距離の問題だ。

最初の前提が、
最後にどれだけすっかり変わってしまったかが、
「遠くに来てしまった」感覚を受ける。
そして物語とは、
「それがとても良かった」にならなければならない。

ああ、ただ虚しかった、では意味がない。
100時間ゲームやっても、
虚しかったなあ、ということはある。
主観的経験が無駄じゃなかったと思いたい心理もある。
短編一本のほうが、
遠くまで来てしまったと思わせることもある。
要は充実度の問題だろう。

あなたのストーリーは、変化を充実させているか?
その遠くまで来てしまった感じは、
100時間のゲームに匹敵する?
posted by おおおかとしひこ at 09:07| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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