風呂敷を広げるだけ広げて、
結局完結させられない物語の、
何と多いことだろう。
なぜそうなるのか。
風呂敷を広げて、そして畳む行為だと、
勘違いしてることにあるのではないかと思う。
極論すると、
第一ページ目から、
風呂敷は畳みに入っているのである。
風呂敷を好きなように広げてから、
「どうやって畳もうかな」と悩むからまちがいなのだ。
正しい風呂敷の広げ方は、
畳み方を考えて広げるのだ。
その伏線がどのように回収されるか、
わかっているから敷いて置けるのだ。
その世界が、今後どのように変化しているかわかっているから、
今その世界を描けるのだ。
その登場人物が、最後にどうなるか分かっているから、
最初にこういう人物だと示しておくのである。
あなたの白昼夢の通りに、
それらを好き勝手広げるから、
畳めないのである。
畳み方を考えてから、広げるのだ。
畳めない所は、広げないのだ。
逆に畳める確信があるから、
わざと大きめに広げて置くのだ。
三幕構成理論では、
まず設定し、それが展開して、
最後に帰結に至ると解説する。
それは見る側から見たものにすぎない。
作者側から見れば、
その帰結のために逆算して展開があり、
その展開と帰結のために、
逆算して設定がある。
観客は前から見るが、
作者は後ろから書いている。
折り紙みたいなことかな。
最後にこうなるから、
先にここから折っておくみたいな。
風呂敷を畳み終えた状態からスタートして、
それを逆回転して広げよう。
広げいっぱいは、ミッドポイントのあたりだろう。
そこから前半戦、
実際には風呂敷が広げられているが、
逆回転で畳まれていく様子を想像しよう。
最初の、風呂敷を広げる前に戻ったね。
そしたら、
最初の畳まれた風呂敷を、
最後の畳み方が上手くいくように、
広げていくのだ。
つまり、
風呂敷はただ適当に広げられているのではない。
畳まれる最後のために広げられている。
風呂敷をランダムに広げて、
それをうんうん唸って畳むのではない。
風呂敷の初手が、畳み始めだと言っても良いのだ。
無責任に思いついたシーンを、
オープニングから順番に並べて何が出来る?
それは畳まれることの一部ではないのだ。
片付けられる範囲まで散らかせ。
最初に頑張って散らかして、
泣きながら片付けるから、
片付くところまで完走しないのだ。
散らかしは片付けの初手である、
と考えれば、
最初のシーンがいかに大事かわかるだろう。
一行目に何を書くかから、
ラストシーンははじまっているんだぞ。
2022年02月18日
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