JISカナは、Stickneyの定めた配列をもとにしている。
「行を固めたほうが覚えやすい」という主張があるが、
ではなぜその行がそこで、
なぜそのカナがそこなのかの理由がわからぬ。
50音順にしなかった理由が、不明だ。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/publications/ISCIE2003.pdf
に歴史的経緯がまとめてあるが、
仮名文字協会(現カナモジカイ。調べたらまだあるんか…
http://www.kanamozi.org/ )
での、
頻度に応じた山下案と、行ごとに集めたStickney案の、
二通りのうち後者に決定したというが、
これを50音順にしなかった理由がわからんのだよね。
この頃には、
大阪逓信省のカナタイプライタがあり、
山下案ともStickney案とも異なる配列で、
都合三種の配列が初期にあったことになる。
そしてよく見ると、
どれも使いやすいとは言い難いカナ配列に感じられる。
もっとも、
この頃は、電信(民間の電報、報道)用の、
専門オペレータ用の道具に過ぎず、
まさかその100年後に、
誰もがタイピングする時代が来るなどとは、
想像の外であったろう。
統計頻度に基づき、
よく使うものを人差し指に集めたという、
すでに実用されていた逓信省版のカナタイプライタを採用せず、
カナモジカイは独自配列で覇権を取ろうとしたのだろうか?
それが目的だとすると、
山下案はより効率化を狙い、
Stickney版はより覚えやすい狙いを持ち、
どちらが上に話を通しやすいかを考えた時、
後者が強かったんじゃないかと想像する。
つまり、ハンコを押す人はタイピストではないから、
分かりやすいプレゼンしか信じないだろうからね。
(官僚制度の弊害だ)
で、山下もStickneyも、
自身がタイピストでなかったような気がするんだよな。
だってどっちの配列も使いにくそうだもの。
数ヶ月も使えば、
欠点に気づきもっと動かしたくなること請け合いだと思う。
(ただ現代語ではなかったろう。
「言う」は「言ふ」表記であっただろう。
であつただらう、になるのか)
配列としての使いやすさの評価は、
擬古文タイパーに任せるとして、
僕の興味は、
Stickney案が、
50音順に割り切らず、
中途半端な不規則配列にしてきたことだ。
50音だと特許取れなかったのかな?
明治の頃はまだ商売は大阪、
みたいな感じで、
大阪の勢いを東京が削ぎたい、
みたいなこともあっただろうから、
大阪を超える何かを東京で確立したかったのも、
あるかも知れない。
科学的合理性は、いつの世も政治的思惑に負けるのかしらね。
これが合理的か、という問いとその検証を行えるほど、
世の中は民主的でなかったのかもしれない。
Stickney案は、
ア行が左上にあるから分かりやすい、のかしら。
JISカナのまずここがムカつくので、
バカなやり方をしたと僕は思うのみだ。
同じ行を集めることが、
記憶負担を楽にするだろうか。
サイトメソッドならギリあるが、
ブラインドタッチではほとんど関係がない。
サイトメソッドだとしても、
「このカナは○行である」と判断する手間が、
いちいち面倒だ。
辞書を引くときのような手間だと思う。
電報のような短さではまだいいが、
本格的な文章用途ではない。
そして、電報のような文字数を書くのではなく、
メールやレポートが電子になってきた今、
この配列の存在意義はないと思う。
どんな人にも使えるようなカナ配列にするならば、
50音配列が一番いいと思う。
qwertyでも外人が困らないのは、
26文字の検索容易性だろう。
50音配列、qwertyローマ字、
合理的な民間のカナ配列、
フリック、
あたりが併存するのが、一番豊かだと思う。
いろは歌のように、
「よく使う単語を、カナが被らないようにならべる」
と考える人はいなかったのかが、
僕には不思議でならない。
頻度を考えながらその歌を創作できる教養が、
界隈にはいなかったのだろうか。
2022年02月22日
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