菅田将暉主演、「ミステリと言う勿れ」
のテレビドラマ化の宣材らしいが、
間違い探しの問題みたいになってて笑った。
マフラーとネルシャツが違う。
ジャケットとセーターが違う。
パーマが垂れてる。
知的さや繊細さが違う。
窓の形が違う。
色のセンスも、
GBY系のと、ブルー主体に差し色を入れるのと。
手の組み方も肘の張り方も背筋も違うので、
これってこの主人公の誰かに対する態度が違うってことなんだよね。
原作ファンの人は、
「原作にそっくり!」って驚くの?
だとしたら相当舐められてない?
サイゼリヤの間違い探し
(難しいので有名)やってこいよな。
並べて比較するのは悪意だよな。
見たら違いばかりが気になる。
類似度○%の○をあげるだけが目的になってしまう。
だからコスプレって言われるんだよな。
原作がどういうものか知らないけど、
「原作の面白さのここを実写化する!」
っていう気概がどこにも感じられない。
そしてどう見ても、
この絵がとても良いからこれを再現したい訳じゃないと思う。
(仮にこの絵が最高にいいとしても、
再現度は半分以下じゃねえか)
実写化ってもはや失敗プロジェクトの別称だよね。
なんでか反省してないな?
「原作の、トリックの驚愕を実写化!」とか、
「原作の、あの微妙で淡い恋愛描写を実写化!」とか、
「原作の、あの脱出劇を実写化!」とか、
なんでもいいけど、
「我々は何を楽しみに待てばいいか?」を、
なぜ示せないのか?
それは、実写化するビジネスマンが、
実写化に前のめりになってないからだよね?
前のめりさこそが、
創作物の熱になり、人の心を動かすものだと思うのだが、
そうじゃないとすると、
何に我々は夢中になるんだろう?
間違い探し?
いつからドラマや映画は、
「俺たちについてこいよ」から、
「色々な複合的意見を総合した結果、
このバランスに落ち着きました」
になったんだろう?
それはもはや人類の先頭を歩いてなくて、
人類の後塵を拝していると思うのだが。
先頭を歩くから憧れられるのであって、
後からキョドりながらついてくるやつなんて、
馬鹿にされるだけじゃんね。
2022年02月03日
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