書き始めることは誰でもできる。
最初の数行は最高に調子がいいのに、
ページが進むごとに勢いがなくなり、
まっまく進まなくなることは、
とてもよくあることだ。
プロットを組んでも、エンドマークまで書けることは、
慣れていない限り相当難しい。
なぜだろう。
僕は、人生経験だと考える。
人生経験を積めば完結させられるようになる、
わけではないと思う。
完結させることは、
「あることをはじめて、
終わるまでやること」を、
どれだけ経験してるかによる、
という意味だ。
たとえば部活。
部活なら、
始めて終わった経験があるだろう。
(部活をまだ続けてるのは、プロになった人だけだよね)
趣味はどうかな。
もう辞めてしまった趣味は、終わった趣味だろう。
男女の付き合いも、
いくつか始めて終わったものがあると思う。
さて、
それらは、どうして終わったんだっけ?
部活は、怪我してやめたのか?
三年になってなんとなくやめたのか?
趣味は?
飽きたから終わった?
女は?嫌いになったから?飽きたから?
つまり、大抵の「終わった」経験って、
ハッピーエンドじゃないんだよね。
あなたは、
「始めて、冒険して、満足のいった終わり」を、
人生経験でいくつしてる?
フィクションの物語では沢山してるだろうけど、
リアル人生経験としてだ。
バイトがハッピーエンドで終わったかな?
ある仕事のプロジェクトは?
会社員生活は?
なぜ物語が、
ある時間を区切るのかの答えがこれだ。
たとえば、
「小学校六年の時の、最高の夏休み」
についてなら、ハッピーエンドで終われるからである。
「あること」についてだと、
始めた理由はあっても、
終わった理由はハッピーでないことが多い。
だが、
「ある期間限定での、あること」は、
始めた理由があり、
ハッピーエンドで終われる。
物語は、これを扱う。
人生経験において、
うまく始まって、
ハッピーエンドで終わった経験なんてそうはない。
部活は途中で辛くて辞めたり、
趣味は飽きたり失敗したりして辞めたり、
女は幻滅して別れたりしてるわけだ。
だけど、
部活を始めて、ある大会に出場決定するまでとか、
趣味を始めて、ある達成をした話とか、
彼女が出来て、温泉旅行でピークを迎えるとか、
期間限定すれば、
ハッピーエンドのストーリーにはなる。
そして、
それはフィクションのストーリーとしては、
弱いんだよね。
フィクションのストーリーは、
もっと強烈な成功やハッピーエンドを必要としている。
映画を見に来たのに、
彼女が出来て温泉旅行がクライマックスになる話なんて、
がっかりじゃない?
部活はじめたのに、大会決めておわりかよ、
一回戦負けじゃんか、なんて映画はしょぼいよね。
現実経験での、
ある期間限定のハッピーエンドは、
フィクションの要求する強烈さには、
全然足りないんだよね。
もっと激烈な人生経験をしてる人もいるかも知れない。
そういう人のストーリーは、
伝記や実録になる。
マジかそんなことあんのかみたいなストーリーだ。
それに匹敵する嘘話、
それを超える激烈な冒険、激烈な人生経験、
激烈なハッピーエンドこそ、
フィクションに求められているものである。
つまり、
フィクションのハードルは、
現実の人生経験より高いんだよ。
現実の人生経験で、
理想的なハッピーエンドになり、
ああいい経験をした、人生ってなんて素晴らしいんだ、
これで大きく人生が変わったわ、
なんて終わり方をすることは殆どない。
だから、
ほとんどの人はフィクションのストーリーを、
完結させられないのだ。
もちろん、人を殺さないと殺人が描けない、
ということではない。
問題は妄想力だ。
あることが始まって、
ものすごいうねりのある展開を見せて、
見事なハッピーエンドになり、
こんな素晴らしい人生経験になる、
ことを、
妄想で作り上げなければならない、
という話をしている。
ある魅力的なキャラクターなら、
あなたの身の回りの人物を参考にして、
創作することができるかも知れない。
じゃあ人生のある時期限定のハッピーエンド型ストーリーは、
どう取材する?
色んな人の人生経験を、見聞きすることじゃない?
自分の人生経験だけを頼りにしていては、
いずれ貧弱なものになる。
だから、完結させられないのだ。
あなたは、
あなたの人生を物語にするのではない。
架空の人物が、
架空の物事をはじめて、
架空の冒険をして、
架空のハッピーエンドを迎えて、
架空の人生経験として、こんな意味や意義があった、
というものを作らなければならない。
その妄想は、
たかが自分の貧弱な「完結したハッピーエンド経験」では、
足りないと思うんだよね。
だから、
妄想力1000%で、
構築しなければならないのだ。
もちろん客観性は必要で、
主観マックスでやっていてはご都合主義だろう。
そんなに難しいのか。そうだよ。それが物語だ。
あなたは、カタルシスを味わったハッピーエンドを、
どれだけ経験しただろう?
マックスのそれを思い浮かべたまえ。
フィクションのカタルシスは、
それを越えなければならない。
だから、完結させることは難しく、
書き始めたはいいが、勢いがなくなるのである。
リアルな人生では、時計は勝手に進む。
創作物語では、時計はあなたが進めなければならない。
人生で時計を進めた経験なんてそんなにないでしょ。
だから最後まで時計を進められないのだ。
2022年02月23日
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