2022年02月26日

それを外国と外人の話にしても成立するか

どれだけのコンテクストがローカルで、
どれだけのコンテクストが万人共通かを探ろう。


森絵都の小説「カラフル」は結構な名作だ。

タイの映画「ホームステイ」が、
なんかカラフルと設定が被るなと思い調べたら、
なんとカラフルのタイリメイクらしい。
へえ、そんなことあるんだな。

死んだ少年Aが魂の状態ではじまり、
自殺した少年Bの体を借りて、
Bの自殺の原因を明らかにしたら、
再び生き返らせてやるよ、
という死神?の指示を受ける話だ。

なぜBは自殺したのか?
どんなつらい人生があったのか?
Bが死なない未来に作り替えることはできるのか?

家族や友人たちのいくつかの問題を、
Bの肉体に入った別の少年Aの魂が、
修復していく話だ。

小説は傑作だけど、
アニメ映画は微妙だったな。
展開部の家族たちの問題が、
いまいち浮いてる気がした。


おそらく、
タイリメイク版は、
その家族たちの問題を、
タイローカルな何かに変更してくると予想される。
問題同士の連関は薄く、
パズルのようにもなっていないので、
アレンジが効きやすいと予想。



で、本題だ。

カラフルのアイデアのコアは、
初期設定と目的のユニークさだ。
そしてそのオチにもあるが、
ここではネタバレを避けておく。
一人称だから成立するという話もあるな。

このコア部分は、
ローカルなコンテクストとは関係ない、
人類共通に通用するアイデアで、
各部分問題は、ローカルな文脈だ。

だから、
大枠を共通にして、
部分問題をローカライズできる可能性があるな、
と思ったわけ。

さて、
あなたのストーリーは、
どこからどこまでがローカルな文脈で、
どこからどこまではローカルでない、
人類共通のお話なのだろうか?

そこを切り分けて自覚しておくことは、
自分のストーリーに客観的であることである。

なにも、
ローカルを削ってグローバルを増やせとか、
グローバルを削ってローカル一辺倒にせよとか、
そのバランスを問題にしたいのではない。

これはローカルな文脈である、
これは共通化できる部分である、
のような、色分けが自分で明確か、
という話だ。

で、
外国の、外人の話だとしたら?
と想像することはこの格好のエクササイズになるな、
と思ったわけ。

ローカルな部分を捨象したときに、
誰もが理解できる部分を、
自覚的にしてみようということだ。



同じく、男女を逆転するエクササイズもよい。
時代物では無理がある部分が出てくるけど、
現代物では、建前上、男女は交換できるはずである。

そこで交換できない部分を見つけたら、
「男にしか分からない感覚」
「女にしか分からない感覚」
というローカライズを発見できる、
ということである。

それは良くないかどうかはそれ次第で、
女の情念やら男の蛮勇やらは、
やはり固有のものだと思うので、
交換できない部分はあると思うがね。


つまりこれは、
必然性のチェックでもある。

交換して成立するなら、
それがそれである必然性が、
弱いんじゃないの?ってことだ。

外国人の話にしてみよう。
男女逆にしてみよう。
主客を転倒させよう。

なにがローカルで、
どれはみんなに共通のものだろう?
posted by おおおかとしひこ at 01:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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