2022年02月27日

写真を撮ったり絵を描いてみよう

驚くほど、自分は何も観察していないとわかるぞ。


ある光景の写真を撮ろう。

それを見ずに記憶だけで、
それが大体どんなものか、
文章で表現したまえ。

仮に犬だったとする。
どんな犬か?毛色は?
鼻や瞳は何色?
首輪は?
どこを歩いてた?
飼い主はどんな人?服は?
背景の看板に何が書いてあった?
道路標識はなに?
背景の家は何階建?
光線の向きは?
何時ごろ?

そんな細かいこと覚えてないよね。
写真で答え合わせできるね。
ああ、自分はいかに何も見てなかったか、
記憶と写真のディテールを見比べるとわかる。


絵を描いてみよう。
ある風景の絵だ。

写真を見て絵を描くな。
肉眼とキャンバスだけで描いてみなさい。
そしてその風景を、最後に写真に撮りなさい。

驚くほど、ディテールを省略して絵を描いていることが、
写真と見比べるとわかるはずだ。

絵は、
対象を理解していないと描けない。
犬の毛を描きたかったら、
毛の流れを分からないと描けない。
絵を描くことは、理解することが前提である。

つまり、絵を描くことは理解することである。

絵が下手な人は、
手が不器用以前に、観察ができない人である。


目は大量の情報を得るが、
脳の時点でそれらは取捨選択される。
いらないものは捨てられ、
重要なものだけが残される。

このエクササイズは、
いかに脳がいらないものを捨てて、
いるものだけを残してるかを、
視覚的ディテールで検証する方法である。

あるいは、自分の観察力のレベルを、
自覚するためのものでもある。

観察しよう。
世界はどうなっているか。

そして、
そこから、大事な何かを残して、
その他を全部捨てる練習もしよう。
記憶の圧縮もするのだ。

本質的なところだけを残すには、
どうすればいいかを考えるのだ。


見る目を鍛えないと、
同じことを経験しても、
脳がほとんどを捨てて、
最初にあなたが描いた犬の絵みたいになるだろう。

その観察で、
本質は見抜けたか?

見抜けてないなら、下手くそな絵のままで、
そんな程度のシナリオしか書けないということだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:38| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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