2022年02月14日

【薙刀式】配列の話題がマイナーな理由

1. 多くの人にとって配列が問題とは気付かれていないから
2. すでに配列を変えた人は当たり前になっていて、
 わざわざ話題にしないから

が同時に起きているから。
ネットで見ることのできるのは、
「移行中」の人しか観察できないからではないか。


ネットが「現在進行中」のものになったのも大きいかな。
HPの時代とかは、「既に確立されたものの図書館」
みたいな感覚だったけど、
掲示板を経てSNS全盛期の現在は、
「現在進行形」のものしか見ることができない。

過去こんなことをやってきたのでそれが前提になってるとか、
過去こういう失敗をしたのでまとめておく、
なんてことは閲覧されることはほとんどない。
それが「今バズってる」にならない限り。

(そしてバズるのは、
役に立つ知識ではなく、
短くてインパクトのあるものだけだ。
バズりのみが正義ではない)


多くの人は、
そんなにデジタルで文字を書かない。

一日5000字書く人はほとんどいまい。
だから、
現行の物理キーボードや、論理配列に、
問題があると自覚する人の、絶対数が少ない。

その中でも大多数の人は、
物理キーボードをいいものにする
(リアルフォースとHHKBが二大巨頭)ことで、
一時的には解決する。

だから、物理キーボードをなんとかすればなんとかなる、
という成功体験を積んでしまう。
こういう人が自作キーボードに来ると、
「JIS配列のままで疲れないやつ=左右分離JP」
を求めてしまう。

ほんとうは、「指の動かし方そのものに無駄や無理がある」
ことに気づけない。

無理なフォームを続けて、身体を壊した斎藤投手のようである。
物理キーボードをいいものにすることは、
いいスパイクやいいボールを使うことに過ぎない。
そもそもフォームが無理があるなら、
どんな道具でもそのうち体がダメになる。

たぶん、
そこまで自覚する人が少ないのだと思う。


職業的に沢山書く人はいるだろう。
ライター、ブロガー、記者、記録者、
などなど。

職業タイピストになるには、
最初から才能がいると思う。
つまり、現行キーボードと現行入力方式で、
手を痛めないだけの強さを持った人だけがなれる。
(そうじゃない人は淘汰される)

だけどそれ以外の沢山書く仕事では、
そんな狭き門がないし、
そのための情報も出回っていない。
調べても、リアルフォースかHHKBくらいが限界だろう。

だから、
沢山書く人は、情報を持たないまま、
爆弾を抱えさせられていると僕は思う。

そんな人は沢山いるのに、
「qwertyローマ字の手の動かし方が問題なのでは?」
と気づける人はほとんどいない。

「それは人が作ったものであり、
人が作ったものなら改造できる
(天然のものなら物理学者の仕事)」
と気づけるのは、
エンジニア気質のある人だけだ。

だから、
エンジニアにまずDvorakが流行るのだと思う。


ほとんどの人はエンジニアではないので、
今目の前にあるキーボードは、
天の恵みのように見えてるかもしれない。

これはネジを開けて分解できるものであり、
配線を変えれば動作を変えられるものであり、
設計図が存在し、
設計図を読み取って電気理論に基づいて改造することが出来、
工具とパーツがあればその通りにできるもの、
とはキーボードを見ていないと思う。

同様にPCも、
所定の電気信号を受け取ったプログラムが、
所定の規則によって文字を出力して、
エディタやブラウザに渡しているものであり、
そのプログラムに介入して、
思い通りの信号変換ができるもの、
とも見ていないだろう。

「配列は変えられる」という発想に、
まず辿り着けないと、
僕は思っている。

そんな人に、
「全く違う文字が印字されたキーボードの写真」
のインパクトは、結構有効じゃないかと思っている。
だから薙刀式がフィックスしたら、
そんなキーキャップを作ろうと思ってはや○年。
そろそろ作ってもいいかな。どやろ。
(今のところ字を彫り込んで塗料を流し込むしか手段がないので、
手触りがガタガタになるのが嫌なのだが、
展示用のキーキャップとして作るかなあ…)



で、そもそも配列を変えて便利になってしまった人は、
その後その配列を語ることがほとんどないんだよね。

だから仮に普及してても、
知らない人への情報接触頻度が、まったく変わらないんだよな。
(そのためにCMがあるのだが。じゃつくろかな)

「当たり前になってしまったもの」を、
人はわざわざ語らない。
自転車を買いました!はネットに上がるけど、
「自転車でコンビニに行きました!べんりー!」
「自転車で駅まで行きました!最高!」
なんてあげ方はしない。

今この文章も薙刀式で書いているが、
当たり前に消えることが文房具の役目なので、
そもそも「薙刀式を使ってる」という自覚すらない。
僕の意識は「この文章を書くこと」に集中してて、
センターシフトとか3キー同時とかBS近いぞとか、
考えていないのだ。

だから、あらためて、
「この配列を使うことで、qwertyローマ字のこの苦痛がなくなった」
ことを、みんなで勝手に呟くべきだと思うのさ。


親指シフトの人は定期的にやっている気がする。
飛鳥や月は沢山いたはずで、今もいると思うんだけど、
観測できない。
新下駄で小説書いてる人なんかはたまに新下駄の話があがる。
他の配列については、
作者の変更情報のときしか流れてこない。

普及度合いが観測できないことが、
配列という考え方が広まらない問題だと思われる。
日本人は大体流行に敏感だ。
隣がやってるとなれば、始めてみようかな、
なんて思う民族だからね。
聞いたこともないのは、たとえ合理的でも手を出さないもんだ。
「あの人も使ってます」は、広告の常套手段なんだよね。


ということで、
薙刀式に限らなくてもよくて、
新配列を使う人は定期的にその話題をしたほうがいいと思うんだよね。

勝手に決めると、
この記事を書いた14日の翌日、
毎月15日を新配列の日にしよう。

賛同者は自分の使ってる配列を、
知らない人に向けて簡単に紹介するのだ。

親指シフトはこういうところが便利、
飛鳥の愛すべき指さばきのこと、
新下駄の痒いところに手が届く感じ、
月の運指の好きなところ、
薙刀式の気持ちよさ、
なんでもいいので、現在進行形で配列のことを語れると、
定期的に流れてくるようになるんじゃないかと思う。


僕はそのように思うので、日々考えてることと、
薙刀式について書き続けているが、
まあ一人でやるより複数でやったほうがムーブメントになるかな、
などと思っている。

ということで、明日は薙刀式についてなんか書きます。
posted by おおおかとしひこ at 13:37| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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