QPに「。、」ないし、Q@に「。、」の話。
僕が元祖親指シフトを触った時の感想で言うと、
親指の同時打鍵は問題なく、
左右にシフトがバタバタするのは気になる程度、
TYの同手シフトはマスターに至らなかったのでノー感想、
左薬指の多用が気になった。
だが許容できなかったのは、
句読点の小指上段だった。
僕は手首をつける派なので、
どうやっても小指は届かない。
どうするのかと動画を探すと、
手首ごと動かして打つらしい。
めんどくせえなと思った。
最初から手首を浮かせていれば、
それほど苦にはならないかも知れない。
そして親指シフトは手首を浮かすのが前提らしい。
この、まず最初に教えるべき重要なことを、
親指シフト派は教えない。
その、内に篭っている感じがとても感じ悪かった。
お前はいらない、来なくていいと言われてるように思えた。
被害妄想だけど。
で、何回やっても「手首を浮かせて打つ」ことが出来なかった。
今でも出来ない。
自転車に乗れるようには、うまく出来なかった。
ちなみに今僕は、
手首をつけたまま、
QPは薬指で打っている。
薬指の負担はなるべく減らしたい。
だからQPを使わないのがほんとうはベストだ。
にも関わらず、
文章の構造の根幹である句読点を、
小指上段に預ける神経が僕には理解できない。
僕は握力が低い方だから、
小指が痛くなるのだろうか?
世間の人はもっと小指が丈夫で、
句読点のたびに小指を使っても大丈夫なのか?
仮に小指中段に句読点を持ってきても、
僕は無理だ。
僕の小指はそんなに強くない。
カタナ式でたしか初手に小指句読点は試したな。
20分持たなかった。
親指キー単打に句読点なら、全然分かるのだが。
親指シフトの設計上の工夫はとてもわかる。
当時の公文書の句読点は「、。」と「,.」で統一されておらず
(最近ようやく「、。」を推奨になったとニュースで見た)、
それに対応しようとした工夫が見て取れる。
QPZ/と四隅に散らして、
分かりやすくしたことはとても理解できる。
だけどそれで小指が悲鳴をあげることまで、
設計に入ってたのかしら?
頻度で言えば、「、」のほうが「。」より多いため、
左小指に「。」を持ってきた理由もまあわかる。
直感とは左右逆なのがすごく気になる。
僕はクロスシフトという考えに馴染めなかった。
左右盲にすぐ陥り、自分が不安になった。
直感的に左右が入れ替わるのが、
僕は無理みたいだ。
左右の器用度の開きは、僕は人よりある方だと思うな。
絵を描く人は皆そうだろう。
つまり僕は、
どうやら親指シフトが前提としている能力や神経を、
持ってないのだと考えられる。
シフターが言うほど、
誰にでも使える配列じゃないと思う。
その、シフターの無知や結果的傲慢さが、
とても気になっている。
まあいずれ消滅していくのだろうが。
配列は人を選ぶ。人は配列に選ばれる。
僕は小指上段句読点が最も苦痛で、
肉体的にも感覚的にも合わなかった。
こうした挫折歴がなかなかネットに蓄積しないから、
親指シフト無理という声も届かんのだろう。
ちなみに薙刀式で無理ポイントはいくつか報告されている。
右小指下段「れ」を含む「られ」「られる」の連接(./と./I)、
「フェ」の難しさ(V.Oの3キー同時)、
通常シフトでなく同時連続シフトにしたい(QMK、Benkei、Hachikuは対応、
本家DvorakJは原理的に非対応)、
OSの更新で対応しなくなるのでは(それは僕も不安だ。
でも今便利だから、その時に考えればいいや)、
3キー同時に非対応キーボードがある(いいキーボード買ってね)、
あたりだろうか。
こうした情報の蓄積をしていくと、
「こういう人は薙刀式が無理」
という情報が集まるはずで、
僕はそれも知りたいんだよね。
ここが無理、しんどい、という情報はどっかでつぶやいてくれれば拾います。
批判は改善のチャンスだし。
2022年02月20日
この記事へのコメント
コメントを書く