時々ストーリーとポスター(スチル)は違う、
という話をする。
ストーリーとポスターはどっちが偉いかは知らない。
たまにはポスターのいいところを話す。
ポスターのいいところは、時間を止めているところだ。
たとえば映画のポスターは、
それが十年後、二十年後も時を止めてくれる。
ああ、あの時あいつ若かったなとか、
俺も年を取ったなとかあっても、
あの情熱の瞬間を、永遠に止めてくれている。
田舎に行くと、昔のアイドルのポスターが貼ったままになってたりするよね。
南野陽子わかっ!とかよくあるよね。
全盛期のかわいさを、永遠に止めてくれているわけだ。
駅張りのポスターが動くサイネージに変わりつつある。
分かってねえなと思う。
駅張りのポスターの、永遠に時を止めてる感じの良さを、
ちっとも分かってない。
たとえばいいちこのポスターは毎回楽しみにしてるんだけど、
酔いの世界を写真表現してて、
すごくいいんだよね。
風景が時を止めて、そこに永遠に閉じられている感じは、
ポスターじゃないと出ない。
映像はどんなにスローで撮っても動くし、
再生頭と再生終わりがあるため、
どんなに頑張ってもループどまりだ。
ポスターはそれを超越して、ずっとそこに永遠にいる。
サイネージなんて電源切れば消えてしまうんだぜ。
ポスターは電源関係なくそこにずっといる。
写真の良さとはつまり、
永遠に時を止めることの良さだ。
「大学一年生の四月にしかない、
不安とワクワクと恥ずかしさ」を、
ムービー的に切り取ったのは「四月物語」だが、
これは永遠に時を止める、写真むきの題材だ。
だから松たか子の全盛期の、
ポスターの方が出来がいいと、
今でも思える。
同じく、中学生のドタバタを描いた「バタアシ金魚」は、
ラストカットの全盛期の高岡早紀だけが、
永遠のセックスシンボルとして写真的に名作である。
(ストーリーは全然)
時を止めることの良さは、
たとえば集合写真だろう。
卒業アルバムはそうした役目だ。
ブロッコリーポスターがなぜダメかというと、
卒業アルバムになっているからだ。
そいつらをものすごく知ってれば、
その卒業アルバムはそいつらの時を止めた最高の一枚だけど、
知らん奴らにポーズを取られても、
他校のクラスの卒業アルバムを見せられた微妙さしかないわけだ。
これが夢中になったアイドルグループの、
200○年のコンサートの記念写真、みたいな文脈があれば、
それが永遠に時を止めてて、最高にいいわけである。
さて、
ポスターは時を止めることが、いいことである。
映画は、時を動かすことが、いいことである。
つまり、ツカミ、展開、オチの、
「時間の流れの良さ」が、いいところである。
ポスターと映画は、つまり永遠にすれちがう。
じゃあいい映画のポスターとはなにか?
時間の流れを決定的にした場面の、
時を止めたものではないか?
2022年03月13日
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