2022年03月13日

ポスターは時間を止める

時々ストーリーとポスター(スチル)は違う、
という話をする。
ストーリーとポスターはどっちが偉いかは知らない。

たまにはポスターのいいところを話す。
ポスターのいいところは、時間を止めているところだ。


たとえば映画のポスターは、
それが十年後、二十年後も時を止めてくれる。

ああ、あの時あいつ若かったなとか、
俺も年を取ったなとかあっても、
あの情熱の瞬間を、永遠に止めてくれている。

田舎に行くと、昔のアイドルのポスターが貼ったままになってたりするよね。
南野陽子わかっ!とかよくあるよね。
全盛期のかわいさを、永遠に止めてくれているわけだ。

駅張りのポスターが動くサイネージに変わりつつある。
分かってねえなと思う。
駅張りのポスターの、永遠に時を止めてる感じの良さを、
ちっとも分かってない。

たとえばいいちこのポスターは毎回楽しみにしてるんだけど、
酔いの世界を写真表現してて、
すごくいいんだよね。
風景が時を止めて、そこに永遠に閉じられている感じは、
ポスターじゃないと出ない。

映像はどんなにスローで撮っても動くし、
再生頭と再生終わりがあるため、
どんなに頑張ってもループどまりだ。

ポスターはそれを超越して、ずっとそこに永遠にいる。

サイネージなんて電源切れば消えてしまうんだぜ。
ポスターは電源関係なくそこにずっといる。


写真の良さとはつまり、
永遠に時を止めることの良さだ。


「大学一年生の四月にしかない、
不安とワクワクと恥ずかしさ」を、
ムービー的に切り取ったのは「四月物語」だが、
これは永遠に時を止める、写真むきの題材だ。

だから松たか子の全盛期の、
ポスターの方が出来がいいと、
今でも思える。

同じく、中学生のドタバタを描いた「バタアシ金魚」は、
ラストカットの全盛期の高岡早紀だけが、
永遠のセックスシンボルとして写真的に名作である。
(ストーリーは全然)

時を止めることの良さは、
たとえば集合写真だろう。
卒業アルバムはそうした役目だ。

ブロッコリーポスターがなぜダメかというと、
卒業アルバムになっているからだ。

そいつらをものすごく知ってれば、
その卒業アルバムはそいつらの時を止めた最高の一枚だけど、
知らん奴らにポーズを取られても、
他校のクラスの卒業アルバムを見せられた微妙さしかないわけだ。

これが夢中になったアイドルグループの、
200○年のコンサートの記念写真、みたいな文脈があれば、
それが永遠に時を止めてて、最高にいいわけである。



さて、
ポスターは時を止めることが、いいことである。

映画は、時を動かすことが、いいことである。
つまり、ツカミ、展開、オチの、
「時間の流れの良さ」が、いいところである。

ポスターと映画は、つまり永遠にすれちがう。



じゃあいい映画のポスターとはなにか?

時間の流れを決定的にした場面の、
時を止めたものではないか?
posted by おおおかとしひこ at 00:26| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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