2022年03月03日

これが強いポスターだ

ブロッコリーよくみとけ。
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解説しておこう。
なぜ強いか?


言いたいことを、手短に、
そして凡庸にせず、強くしているからだ。

「歴史は繰り返す」ではなく、
「(かつて否定された)歴史に逆戻り」と題することで、
プーチンを独裁者ヒトラーになぞらえる。

プーチンの皮一枚めくったらヒトラーだよな、
というのをビジュアライズで助けている。
ヒトラーの写真が白黒なのもよい。
白黒は過去という意味だ。

我々が否定した愚かな過去に逆行するのか、
という強い問いかけを表しているわけだ。

つまり必要なのは、
凡庸でない、強く、短い言いたいこと。
ビジュアル先ではない。
言いたいこと先だ。
そしてそのことを、簡潔でユニークなビジュアルが補完して、
「言葉を必要なく」伝えることができていること。
(この場合、プーチンの皮一枚下は過去の古いヒトラーだということ)

言いたいことを強く訴え、
ビジュアルがそれを補完して一枚絵で示し、
あとは言葉不要で伝達できるビジュアルになっていること。

これがポスターコミュニケーションの正しい使い方だ。

ブロッコリーなんて知るか。
もっと勉強しろ。



我々脚本家だって、これを学ぶべきだ。
つまり、
テーマを強く短くして、
それを一切言わず、
強いメインビジュアルで暗示して、
記憶に残り、伝達される、
ということである。

ブロッコリーみたいな脚本書いてるから、
ブロッコリーみたいなポスターにされるんだよ。
「そうじゃねえ、こうだ」って言えよな。

もっとも、配給会社は、
ブロッコリー以外のやり方を知らないから、
「それはやったことがないので」と怖がるだろう。
もうそういうのは潰れていいんじゃないか。
このポスターに負けないポスターを出してから言え。

おれたちは、フィクションが時に現実を上回ることを知っている。
どんなに現実がひどくても、
落ち着いた後に、
次に人々を助けるのは、フィクションが描く未来である。
そのフィクションが現実より弱かったら、
現実に人は押しつぶされてしまう。

だから、フィクションは現実より強くあるべきだ。
ポスターがこれに負けるフィクションなんて、
フィクションの意味がねえぞ。
posted by おおおかとしひこ at 00:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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