薙刀式をはじめとする合理的なカナ配列の何がいいのか。
スピードももちろんそうだけど、
僕はそれは二次的なものだと考えている。
第一義的には、脳が静かになることだと考える。
逆に言うと、
qwertyローマ字では、脳の中がうるさい。
考えが渋滞して脳の中で反響するし、
ローマ字による脳内発声がある。
薙刀式を使うと、
思いが全部文字として出ていくので、
脳の中が常にクリアになり、
静かになる。
特に僕個人は、カナ配列だと脳内発声がない。
ガチャガチャした渋谷と、
風一つないウユニ塩湖みたいな違いだ。
思えば手が動き、
そのまま文字になるので、
タイピングよりも思考入力に近くなる時すらある。
それはもはや心が剣になった状態の、
達人の剣士に近いんだと思う。
この人を切ると思った時にはもう切れてるみたいな。
しかも刀の持ち方とかどうこうはまったく意識になく、
あれ、俺いま刀抜いたんだっけくらいに、
意思と結果だけが繋がっている感じ。
だから文字を書くことで思い悩むことはない。
悩むことはこれから書くべきことや、
全体の構成であり、
タイピングにはない。
つまり、目的地のことだけ考えればよくて、
手段のことを意識しなくてよくなる。
それは、筆記具の理想ではないか?
手書きの時はそれができる。
だから手書きを僕は捨てていない。
qwertyローマ字では、
僕はその領域に達しなかった。
達する人もいると思う。
「ほとんど同時押しでqwertyの子音母音を打てるくらいに、
熟達した人」ならば。
でも、qwertyでこれになれる確率は、
僕はかなり低いと考えている。
それくらいqwertyは実戦で使うには上級者向けだ。
ひらたくいうと、難しい道具だ。
26文字しかないから一見とっつきやすいけど、
「本格的に文章を書く筆記具」としては、
扱いの難しい、道具として下の部類だと思う。
誰もが扱える鉛筆のようになっていないからである。
一見誰もが扱える鉛筆のように見えるのは、
原稿用紙数枚までだろう。
精々読書感想文レベルだ。
それ以上の本格的な文章を書くには、
qwertyの負担は大きすぎると思う。
薙刀式をはじめとする新配列群は、
この負担を解放する。
思った時に思ったものが書けるようにする。
つまり、道具として消えるようにする。
結果、脳が静かに思考できるようになる。
配列をアピールする方法は、
速度だけだろうか?
たしかに客観的数字は分かりやすく、
コスパに関係してくる数値だから、
「効率が良くなる」ことは理解できる。
ただ、「別に今の効率でもいいけど?」
という人には全然効かないと思うんだよね。
qwertyで文章を書くのは、
とても脳がうるさく、
手が忙しい。
薙刀式は、手の意識が消えて、
文字と脳が直結されて、
脳が端から文字化されていくため、
考えに集中できて、
だから脳が静かになる。
両者の状態を体験して比較できないと、
言ってることは分からないかもしれない。
でもそういう領域があることは、
ここで書いておきたかったことだ。
何のことはない、手書きと同じなわけだ。
僕は手書きこそ至高だと思っていて、
僕の書いた手書き原稿が片っ端からデジタルテキスト化されるのなら、
キーボードを捨てていいと考えている。
手書きは漢直なので、
候補選択も文節移動も再変換もいらないのだ。
その分さらに脳が静かになる。
手書きではできた、思考に集中して脳を静かにさせることが、
qwertyではついに僕はできなかった。
カナ配列のうち、
下駄配列、飛鳥配列、新JIS配列では脳が静かになり、
言葉に集中できた。
その経験からさらにシンプルな薙刀式をつくった。
何故か、親指シフトと月配列では脳は静かにならなかった。
理由は分からない。
相性もあるかもしれない。
つまり僕は、
薙刀式で、qwertyに侵され続けていた脳内の静寂を、
手書き並みに取り戻せたのだ。
qwertyを使い始めてから30年くらい?
薙刀式でこの5年は、
qwertyのような、脳の侵される、隔靴掻痒の感じはない。
なんだろ、長年の腰痛が、この薬で快調!
みたいな話になってきた。
僕はかつて自衛のために、qwertyで清書する前に、
手書きで原稿を書いていた。
だってqwertyじゃまともに深い文章が書けず、
近視眼的な視野しか得られなかったからだ。
それはqwertyの道具の限界だと僕は思った。
(僕にとって、かもしれない)
仮にqwertyが道具としてとても優れていて、
僕だけが合わなかったのかもしれない。
それでもよくて、
でも第二第三の筆記具の選択肢が公式にないことに、
僕は絶望を覚えるわけだ。
新配列は、オルターナティブ配列とも呼ばれる。
第一の選択肢以外の選択肢であると。
ファーストチョイスが合わなかった場合のオプションだ。
日本の実質のファーストチョイスはqwertyで、
第二がクソみたいなJISカナだ。
どちらの選択肢も道具として使えないって、
言語をなんだとおもってるんだ。
言語こそその人の本体ではないか。
第三の選択肢、第四の選択肢…第nの選択肢があるべきだ。
そのどれかは、
あなたの脳を静かにしてくれる筆記用具であるべきだ。
薙刀式が至高かどうかは分からない。
でもミニマルでシンプルだから、
マスターまでの期間は新配列の中でもとくに短くて、
多くの人に役に立つとは思う。
そうした人々が、脳が静かになって、
秋の夜長のような充実した静けさの中、
思考し続ける環境を手に入れて欲しいと願う。
まあ、そのためにiPadで薙刀式を使える方法を確立しないとなあ…
最近これくらい俯瞰できるのは、
薙刀式の開発フェーズが終わって、
普及フェーズに移行してると、無意識に考えてるからかもしれない。
2022年03月03日
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