リズムについて。
小学校の頃、三拍子(ワルツ)というのをならった。
音楽にはテンポがあり、
二拍子、三拍子、四拍子…があると。
中学の頃ロックに傾倒すると、
それが8ビートや16ビートと呼ばれていることを知り、
ああ、8拍子や16拍子のことだなと理解する。
ところで、
なぜ5拍子や7拍子、9拍子、10拍子、
11, ... 15拍子がないんだろ?
数学的にはあり得るはずだが、
何故ないのか?
というのを音楽教師に聞けるほど、
僕は音楽が好きじゃなかった。
監督になって、
自分で作詞作曲する場面が増えてくると、
歩きながらアイデアが浮かびやすいことに気づく。
そして歩きながら歌うといい感じになることが、
経験的にわかってくる。
そこで気づく。
左足、右足、左足、右足。
これは4ビートではないかと。
左足、右足で1ループが二拍子、
2回で1ループが四拍子、
3回で1ループが8ビート、
4回で1ループが16ビート、とわかる。
違いはなにか?
歩みの速度だ。
軍隊の行進のように、
歩く様にカッコをつけて歩くと、
二拍子になる。ザッ、ザッの左右が1ループ。
これはマーチと相性が良い。
365歩のマーチをこれで歌うと気持ち良い。
体を左、右と揺らしながらヨコノリで歌える。
もう少し普通に歩くと四拍子。
(軽くジョギングしながらだと、
「フルメタルジャケット」の海兵隊訓練シーン、
ファミコンウォーズでパロられたようになる)
少し早足で踊るようにステップすると八拍子。
さらに頭でリズムを取りながら歩くと16ビート。
2が基数になったこれらのビートは、
つまり人間が歩くことと関係している。
2がベースなのは、人間の足が2本だからだ。
もし3本足の生物が音楽を奏でるなら、
ワルツになるだろう。
椿とか三回対称の120度構造なので、
彼(彼女?)の中ではワルツが鳴るはず。
なぜワルツが高尚な感じがするのだろう?
獣的な2ベースのビートに対して、
それを数学的に頭で崩したリズムだからじゃないか?
ワルツの、少し頭のいい感じ、
分かってないとわからない感じは、
獣の反射以外の要素だと思うんだよね。
さて、
では5や7の拍子がない理由は?
5や7が数学的に美しくないからだろう。
獣的でもないからだろう。
と思ったら、
インド音楽には7拍子の音楽があり、
9拍子や11拍子の音楽とペアで演奏して、
最小公倍数でループする、
みたいな伝統音楽があるらしい。
で、これは宗教と結びついていて、
「世界はこう出来ていることを示す」
みたいな意図がある。
つまりは、頭のいい感じのさらに頭のいい感じになるわけだ。
こうなると、
もはや、「体が動きだすビート」ではなくて、
「頭で解釈するもの」になってしまうのだろう。
さて、
脚本は楽譜である、
などと僕はよくいう。
じゃあ何ビートなんやろ?
僕は、「登場人物の数のビート」だと考える。
つまり、よく分からない雑音みたいなものだ。
それが、話が進むにつれて、
登場人物が結束したり、解離したりして、
要素がどんどん減ってきて、
ついには敵味方みたいな単純なふたつに分かれることになる。
すなわち、
雑音レベルのビートが、
最終的に2ビートに収束していくことが、
ストーリーのリズムであると考える。
その中でも三角関係ものは特別で、
これはワルツになるわけだね。
カットバックの気持ちよさは、
実は8ビートの気持ち良さなのだ。
そう考えると、
シナリオは楽譜だという考えがよくわかるだろう。
なぜ頭でなく心に訴えるのか?
2ベースのビートを使っているからだ。
三角関係は3ベースのワルツだから、
ハートに響く原始的な衝動ではなく、
頭で考えたゲームのような感覚になるだろうね。
5拍子や7拍子のシナリオは?
要素が多すぎて、絞れ、ということになるだろう。
音楽は歩くことだ。
その発見が、僕にリズムの根本を教えてくれたように思う。
今でも歩きながらシナリオを練ることはとても多いが、
その感覚で書かないと、
原始的で体に響くストーリーは書けないと考えている。
ちなみに、こんな面白動画があった。
https://mobile.twitter.com/_figensezgin/status/1501569668854816771
右手が延々三角を描くから、
これはワルツだろうか?
違う。左手のめくるのが入ってて、四拍子だ。
左右の手を操るのは、偶数拍子が楽なんだよね。
これがハンコが3個になったら、
5拍子になって急にテンポがおかしくなるはず。
「要素を絞れ」とはそういうことだ。
2022年03月19日
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