2022年03月20日

書きたいものは点か、線か、面か

書きたいものを書いたら、大抵失敗する。
そこはよく書けてたとしても、他がボロボロなことが多い。

その書きたかったものは、
点?線?面?


時間軸のない、
場面だけを点とする。

点と点のつながりを線とする。

線が集まり、全体をなしたものを面とする。


書きたかったものが点だった場合、
線と面が不足する。

つまり、
ある場面からある場面へのつながりに無理があり、
自然な展開ではなく、
ぎこちない流れになる。

なんなら、書きたかった点が一個しかなくて、
その続きがまったく書けなくなる。

そして、そもそも線が出来てないので、
面をなすことなんてない。
面に関しては次の段階で議論しよう。


書きたかったものが線だった場合、
面が不足する。

ある場面からある場面への流れがものすごくスムーズにいき、
あるサブプロットに関しても、
なかなか良く出来ていたとしよう。

だが全体としてのまとまりが足りない。

そもそもそのエピソードは全体にとって必要だったのかとか、
全体を見渡した場合掘り込み不足のところがあるのではないかとか、
ある線とある線が対照的になってないとかの、
全体としての歪さがある。

全体から見たときに、
ここがもっとも明るく輝く場所で、
ここがもっとも暗い場所で、
ここがもっとも目立つ場所で、
ここがもっとも目立たない場所、
のような整え方がされていない。

あるいは、
あるテーマのもとに、線たち、点たちが、
最適な並べられ方になっていない。

あるいは、
このテーマの伝わり方が、
現代という時代や、未来という時代に、
伝わりやすく、深い感動を覚えるように出来ていない。
過去の似たものに対して、
何が違い、何がキャラとして立っているか、
という把握もできていない。


面だけが書きたいものの場合、
線や点が不足することもある。

つまり、テーマと構造だけは偉そうに出来ているが、
心が動くエピソードや、
印象的な場面や、
このストーリーといえばこの名場面、
などが物足りない。
ディテールが詰まらない、口だけ野郎に見える。



書きたいものを書くことは、とてもよいことだ。
書きたくもないものを無理やり書かされて、
詰まらなくなり、精神が病む不幸は避けたい。

だけど、書きたいものが、
全体でなく部分でしかないかを、
自分自身で把握してるだろうか?

もし、面しか書きたいものがないなら、
あなたはプロデューサーに向いている。
全体を整え、神輿をつくり、
ディテールはアーティストに任せると良い。

もし、線しか書きたいものがないなら、
あなたは音楽家に向いてるかも知れない。
演奏やコンサートは、演奏家やプロデューサーに任せると良い。

もし、点しか書きたいものがないなら、
あなたは俳優に向いてるかも知れない。
その場面場面で生きる人物をリアルに作れるかも知れない。


すべてを書きたいものにするまで、
シナリオというのは書けないものだ。

勢いで始めると、この不足に気付いて呆然と立ち止まるしかなくなるぞ。


あなたは何が書きたいのか?
決まってるか?

決まってないなら決めろ。
それが全部じゃないなら、シナリオなんて書いても挫折するだけだぞ。

書きながら作る?何年かけるつもりだ。
一本一ヶ月〜三ヶ月で書けないようなスケジュールは、
そもそも間違いだ。
posted by おおおかとしひこ at 18:00| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。