と、極論して考えてみよう。
ハリウッドの教科書で最もダメなセリフは、
「見ろ、やつらは銃を持っている!」だそうな。
敵が銃を構えている絵を撮れば、
この説明はいらないからね。
つまり、その絵を見せればその説明はいらないのだ。
仮に、鍵というものを知らない人に説明するとしよう。
「これはドアなどにかけるものであり…」
と説明台詞で説明するのは三流である。
また、鍵穴の断面と、鍵のドアップがあり、
カチッと回ってロックが外れる様を見せるのは二流だ。
まずびくともしない、開かないドアを見せておき、
取り出した鍵でドアを開ける様を見せればいいだけだ。
あるいは逆に、
開くドアに鍵をかけ、そこから一切開かない様を見せても良い。
つまり、「人がお芝居で見せられる」
ものにするといいのである。
この鍵はこのドアに効かず、ドアBに効くのを見せたいなら、
それぞれを見せれば良い。
そして、ドアAに効く鍵Aと、ドアBに効く鍵Bは、
アップを撮って、先っぽの形が違うのを見せればいいのだ。
ついでに、
似たような鍵が沢山入ってるバケツを持ってきて、
その中に鍵AとBを放り込み、
慌てて拾ってもどれがどれか分からない様を見せるといいだろう。
そのコメディ的なシーンで、我々の心がおもしろさに傾くため、
その感情とともに鍵というものはどういうものかを記憶するのである。
記憶は、感情とともに格納される。
詳しくはプルースト効果でぐぐってくれ。
(もちろん、ここまで見せておくからには、
大抵はのちの場面の伏線になる)
さて、
こうした、人の無言でできるお芝居、
一枚絵で見せられないものだけ、
言葉で説明するべきだろう。
もし鍵がお芝居で説明できなくても、
穴の断面で解説する手もある。
「説明図」で説明する方法だ。
言葉による説明は、三番目の手でしかなく、
そして悪手であることを知っておこう。
一流は、一枚絵で説明できる範囲に、
ストーリーを整理する。
その整理こそが説明仕事の本体だと思う。
ちなみに今、
「保険がおりる」をどうやっても一枚絵じゃ無理だなあ、
という仕事をしている。
保険屋はだから嫌いだ。
保険屋さんが事故った人に現金を渡さない限り、
「保険がおりる」という絵にはならないからね。
でも銀行に振り込まれるだけなんだよな。
つまりは、間接話法にしかならないものは、
映像にならないってことだ。
直接話法になるように、お話を転換するべきだね。
2022年03月24日
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