昔のラテン語、単語をスペースで区切る習慣がなかったらしい。
どこからどこまでが一塊なのか、全然分からんよね。
ラテン語分かればわかるのかな。
5文型にのっとれば、
どこに何があるかわかるから、
構造だけで確定するのかしら。
(そしてそのように書かなければいけなかった?)
日本語も、
句読点がなかったらしい。
漢文も句読点なかったはず。
調べると、活版印刷とともに句読点は普及したようだ。
そもそも手書きだと、
ここで区切り、みたいな手書き文字が書けてたのかもね。
ひらがなは続け字だったろうし。
等価なブロック体になってから、
デジタル的に句読点を入れないと、
読み取りが逆に難しくなったのかもしれない。
明治期に、ローマ字研究の一環で、
日本語でも分かち書きをしようという一派があった。
僕はそれに反対だ。
日本語というのはくっつくことが特色で、
それを引き剥がすことは日本語の良さを消すことになる。
分かち書きしないと分かりにくい日本語を書くやつは、
そもそも日本語を書くことをやめたほうがいい。
日本語で書く上でのコツみたいな教育を、
僕はした方がいいと思うがね。
指導要領つくれるなら、作ってもいいよ。
ということで、
薙刀式は流れるように一文を書くことを目的としている。
言葉という音は、分かち言いをしないからだ。
構造や思考の切れ目で「間」が入る。
その構造に、手が沿うようでありたい。
2022年03月13日
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