沼すぎてこわいなあ、と思ってる人もたくさんいると思う。
自作キーボードの終わりなき沼を見てると、
躊躇する人がたくさんいるのもよくわかる。
何がこわいんだろう。
知らないことか。それは調べれば済む。
こわいことの大半は、「戻れなくなること」かもね。
快適すぎて戻れなくなることは、
ライフハック系全般の特徴だろう。
それが普通になりすぎて、
元に戻った時恐ろしく不便を感じて、
元に戻れなくなることへの恐さもあるだろう。
共産主義が自由経済主義に移行しないような恐怖かな。
それはざっくりいうと、
「自由への恐怖」だと考えられる。
「人は自由になりたいと思ってる」と無前提に思うのは、
足枷を不自由に感じている人限定なんだよね。
足枷があったほうが「安心する」という人は、沢山いる。
「それさえやっとけば問題ない」が欲しいわけだ。
そのことについてこれ以上考え、
心配することに耐えられないのだろう。
結婚制度が存在しないときの自由恋愛や家族の在り方について、
考えるのが面倒だから、
婚姻制度を守るべきであり、不倫は許さん、
みたいに態度を決めていればいいわけだ。
フランスみたいに、自由恋愛をしていいですよ、
婚姻制度は事実上崩壊してますよ、
って明日からなったら、困る人は沢山でそうだ。
自由は恐怖にもなる。
自由に絵を描いてください、
自由に歌をつくってください、
自由に小説を書いてください、
自由に一句どうぞ、
といわれて、やったーと遊べる人は、
それなりの泳ぐ力がある人だろう。
多くの人は「どうやっていいか分からない」と躊躇して、
テンプレをさがすはずだ。
そしてテンプレは、芸術から最も遠く、
馬鹿にされるものなんだけどね。
さて、
配列沼への漠然としたおそれは、
戻れなくなるのではないか(明日から使えなくなることもある)、
自由にやっていいといわれてもどうしたらいいかわからない、
テンプレがいくつあるか分からないのでどれが向いてるかわからない、
莫大に時間を使って、効率が良くなかったらどうしよう、
などだろうか。
このうち一つだけ保証できるのは、
「元に戻れる」ことだけかな。
薙刀式を封印して、
qwertyローマ字に戻れ、といわれて、
出来ないことはない。
ただ、当時の530字(変換後)/10分に戻るだけ。
まあ、薙刀式の速度感を知ってしまったから、
もし薙刀式が明日から使えないことになったら、
僕は音声入力を調べるだろうけど。
それは、
「物理的には元に戻れる」だけかもね。
「心は元に戻る気がしない」になるだろうな。
それは、自由を知った心の自然な作用だろう。
自由を希求するのは、人間の権利だ。
自由を希求しないのも、人間の権利だ。
どっちでもいい。
ただ、自由はたのしい。
空を飛ぶのが、こわいかたのしいか、
というだけのことだと思う。
2022年03月13日
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