月やローマ字の、数打でカナを出すよりも、
同時押しで1モーラを出せる配列の方が、
創作向きであると考える。
動作数が多いものは、
脳の認識が一つではないと思う。
脳は動作の数で認識しているように思う。
だから動作数が少ない方がいいと思うわけで。
これの根拠はなく、経験的主観だ。
一動作が1カナに、さらには1モーラになってることで、
出力する動作と出力する文字が、
一致している。
脳の一文字と動作が一致していることで、
文章が扱いやすくなり、
考えの方に集中できると思う。
日本語は原稿用紙一マスに一文字を書いていく言語だ。
英語は数文字を一塊にしてスペースを開けていく言語で、
これはタイピングの感覚と一致している。
日本語は書く感覚とタイピングの感覚が一致していない。
仮に、二マスに一文字を書くルールで、
時々一マス文字や三マス文字が混在する、
となったら、
原稿用紙での執筆は困難を極めると思う。
内容を考えるよりも、
原稿用紙の作法に気を取られることになると思う。
僕がローマ字方式に感じている疑問はそこだ。
単純に打鍵数の多さという手間よりも、
思考にリソースを全振りできない感覚が、
解せないのだ。
コロナになってから在宅基本なので、
もう全然ローマ字を打っていない。
その必要も必然性も、
ローマ字を打つメリットもない。
(Adobe系とDvorakJが競合する現象がたまにあるが、
DvorakJを再起動すると大体治ることがわかった)
「同時打鍵系は速度に限界がある」なんてのは、
秒間8文字とかの大道芸の世界の話だ。
10秒で80カナ、10分で4万8000カナを書く人だけが、
気にすればいいと思う。
僕は大体20分で2000字(変換後)くらい、
一時間で5000字くらい、
二時間で8000字くらいが限界だな。
それも毎日ではなく、
書くべきものがそれだけある時に限られる。
そんなときに、
一マスを一動作で埋めていく感覚の方が、
内容が影響されないと思う。
1〜3マスを一文字にするようなやり方では、
それに気を取られて、
内容の純度が何割か目減りすると思う。
もちろん慣れた方、やりやすい方でやるべきだ。
だが新配列を使わない限り、
1〜3マスを一文字にするようなやり方しかないのが、
デジタル日本語の問題だろう。
(フリックは一動作で一文字ではあるが、
濁音や小書きは二打いる)
薙刀式は1モーラ1動作で打てる。
シフト文字だけはDvorakJの実装上通常シフトだけど、
QMK薙刀式などの他の実装では同時シフト(かつ押しっぱなしで連続シフト)にも、
対応している。
拗音を含む1モーラ1動作が実現してるのは、
薙刀式、下駄と新下駄、シン蜂蜜小梅、
姫踊子草カナ配列、あまのあすか(のみ?)。
拗音、外来音を二打でよければ、
濁音、半濁音、小書きを1動作で打てる配列は、
親指シフトや飛鳥をはじめ数多い。
月や新JIS、JISは同時を使わずに二打三打系で、
僕はそれにあまり馴染めない。
情報ありがとうございます。
カーブフリックやフラワーフリックは、
フリックのいいところ、4方向にすべらせる単純さを、
殺しているような気がして、
指の行動として直感的に納得いかないんですよね。
それで延々長文を描いてる動画などあれば教えてください。