2022年03月25日

書くことによって気がつくこと

頭の中で考えていることなんて、
全体が見えていないものだ。
書いて初めて、「あそことあそこが繋がってないぞ」なんて気づくものである。


たとえば。

・この時にいないAさんは、この時何をやっているのか
・前の気持ちはAだったのに、このシーンでBになっている理由
・なぜたまたまそこにCがいたのか
・XからYに移動するのに何分、何時間、何日かかるのか
・その間何をやってたのか
・飯はどうしてるのか、寝る場所は
・Pの都合を優先させるとQの都合が悪くなることに気づいていない
・行動Z以外の、もっと合理的な選択肢の存在
・自分がしたい行動Zを、相手は読んでいるのではないかという予想をして、あらかじめ前振るのか、バレないようにするのか
・行動Zを封じるように相手は行動Pをしてくるはずで、だからその先を読んでQを準備しておくもので、いきなり何も考えずZをしない
・これによっていいことAばかりではなく、反動Bが存在する
・誰の目にもAするべきなのだが、それはその人物の本当の気持ちBと乖離している

なんかは、
全然その場になるまで気づかなかったりする。

頭の中の想像よりも、現実(架空の現実であるが)のほうが、圧倒的にディテールが細かいのである。
そしてその圧倒的なディテールを頭の中で想像すると、
おそらく、写真(静止画)レベルまでしか行けないんじゃないかと思っている。
映画画質で動きまで想像できるのは、
シナリオが確定してからのあとの話で、
執筆中には難しいんじゃないかと思う。

だから逆に、シナリオとは、
抽象的な意味のパズルだと思うんだよね。

その作者都合のパズルを、
(架空)現実に持ち込んだ時、
おや、想像よりも細かいことを考えてなかったぞ、
なんてことに気づくことが多い。

このときにプロットを修正するべきか迷うけど、
僕はプロットを修正せずに、
プロットを成立させるための解像度を上げてく行為をした方がいいと考えている。
そうじゃないとプロットが破綻するので。
(破綻して脱線してそっちの方が傑作になることは、0ではないが確度は低い。
大抵方向性を見失って失速する)

たとえば先日飛行機に乗ったのだが、
前の席に折りたたまれているテーブルの構造を、
考えたことがあるだろうか?
それはどこに関節がついてて、
どういう形をしてるかなんて、
実物を観察するまで出てこないものだよね。

アームが┏┛みたいな形をしてるなんて分からなかった。
これは下側にちょっとした荷物入れのネット籠のスペースを開け、
かつ足元の空間を広げる工夫だと、
今日観察して初めて気づいた。

物理があればこのような観察が可能だけど、
頭の中にあるのはいつも作者の思い込みの都合である。
そのご都合をまな板の上にのせるために、
執筆という物理があるのだと僕は考えている。


ということで、
想像の中のエアセックスと、実際のセックスは全然違う。
そんな感じに、想像を受肉させていくのが、
実際の執筆だと思う。
プロットは骨格で、都合だ。
気持ちや最善手などは血肉だと思う。
そして絵的なガワをまとうことになる。
posted by おおおかとしひこ at 08:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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