2022年03月29日

妄想の時間と実人生の時間

人間の使える時間は限られている。
起きてから寝るまで、生まれてから死ぬまでだ。
その時間を、妄想に使うか、実人生に使うか。

前者の人は陰キャに、後者の人は陽キャに、
なるんじゃないかと思う。

妄想に時間を割いてきた人は、
実人生が下手くそだ。
交渉能力が足りなかったり、
前に出て人を集めたり引っ張ったりが苦手な代わりに、
アレとアレを組み合わせたらどうなるだろうかとか、
コレとアレの違いはなんだろうと考えたり、
これまでに見たどれでもないものを、
作り出したり出来る。

実人生に時間を割いてきた人はその逆だ。
人に好かれたり、
関係を継続したり、
人脈の新規開拓が得意だけど、
創作物の教養がなかったり、
それがどうやって出来るかを知らなかったり、
作る労力や才能にリスペクトがない。

僕は、
大人になってから、
「その逆をやらないといけない日」を、
決めるといいんじゃないかと思う。


陰キャの人は陽キャの遊び方をして、
陽キャは陰キャの遊び方をする日。
あるいは、
仕事でも、
陽キャと陰キャの立場を入れ替える日をつくるとか。

営業がどういう風に仕事を取ってきてるのか、
制作はどういう風にオーダーを解釈してものづくりをしてるのか、
お互いを知らないと、永遠に喧嘩してるような気がする。

制作の苦労を営業は知らないし、
営業の苦労を制作は知らない。
一緒に同じ場面に居合わせないからね。

一緒に飲みに行くこともほぼないだろう。
通じる会話があるとも思えない。
ただ単に話しても永遠にすれ違うだけなので、
相手と立場を入れ替えてみるゲーム、
というわけだ。


大昔の忘年会で、
「若手と一番偉い人を入れ替えるゲーム」
というのをやる機会があった。

若手が部長を顎で使い、
部長は灰皿を変えて注文を取らなきゃいけない。
下の人間は上の人間を理不尽に怒ったり無茶振りして、
それはかつて自分で言ったことだと、
上の人間は反省する。
そして部長は下っ端に、なんでまとめてくれないんですかと上申する。
この忘年会の支払いお願いしますよとせがむ。

基本的には上の人間が無礼講で、
頭が良くないと面白くないゲームだけど、
すぐれた忘年会だと記憶している。



話が逸れた。

陽キャは、実人生に詳しいが、
物語に詳しくないから、
色んな物語のパターンを知らない。

陰キャは、物語に出てくるパターンは知ってるけど、
実人生のパターンを知らなすぎる。

その間にいるのが、物語だと思う。

物語は、人生を描くものであり、
書かれる人生にも詳しくなるべきだし、
書かれ方にも詳しくなるべきだと思うんだよね。
posted by おおおかとしひこ at 00:44| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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