人間の使える時間は限られている。
起きてから寝るまで、生まれてから死ぬまでだ。
その時間を、妄想に使うか、実人生に使うか。
前者の人は陰キャに、後者の人は陽キャに、
なるんじゃないかと思う。
妄想に時間を割いてきた人は、
実人生が下手くそだ。
交渉能力が足りなかったり、
前に出て人を集めたり引っ張ったりが苦手な代わりに、
アレとアレを組み合わせたらどうなるだろうかとか、
コレとアレの違いはなんだろうと考えたり、
これまでに見たどれでもないものを、
作り出したり出来る。
実人生に時間を割いてきた人はその逆だ。
人に好かれたり、
関係を継続したり、
人脈の新規開拓が得意だけど、
創作物の教養がなかったり、
それがどうやって出来るかを知らなかったり、
作る労力や才能にリスペクトがない。
僕は、
大人になってから、
「その逆をやらないといけない日」を、
決めるといいんじゃないかと思う。
陰キャの人は陽キャの遊び方をして、
陽キャは陰キャの遊び方をする日。
あるいは、
仕事でも、
陽キャと陰キャの立場を入れ替える日をつくるとか。
営業がどういう風に仕事を取ってきてるのか、
制作はどういう風にオーダーを解釈してものづくりをしてるのか、
お互いを知らないと、永遠に喧嘩してるような気がする。
制作の苦労を営業は知らないし、
営業の苦労を制作は知らない。
一緒に同じ場面に居合わせないからね。
一緒に飲みに行くこともほぼないだろう。
通じる会話があるとも思えない。
ただ単に話しても永遠にすれ違うだけなので、
相手と立場を入れ替えてみるゲーム、
というわけだ。
大昔の忘年会で、
「若手と一番偉い人を入れ替えるゲーム」
というのをやる機会があった。
若手が部長を顎で使い、
部長は灰皿を変えて注文を取らなきゃいけない。
下の人間は上の人間を理不尽に怒ったり無茶振りして、
それはかつて自分で言ったことだと、
上の人間は反省する。
そして部長は下っ端に、なんでまとめてくれないんですかと上申する。
この忘年会の支払いお願いしますよとせがむ。
基本的には上の人間が無礼講で、
頭が良くないと面白くないゲームだけど、
すぐれた忘年会だと記憶している。
話が逸れた。
陽キャは、実人生に詳しいが、
物語に詳しくないから、
色んな物語のパターンを知らない。
陰キャは、物語に出てくるパターンは知ってるけど、
実人生のパターンを知らなすぎる。
その間にいるのが、物語だと思う。
物語は、人生を描くものであり、
書かれる人生にも詳しくなるべきだし、
書かれ方にも詳しくなるべきだと思うんだよね。
2022年03月29日
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